つれづれなるままに・・・ウトウトと!(No1)


目次

  1. 今日の一言
  2. 反対の真理
  3. 面白い関西弁
  4. 水泳2003-12-25
  5. 本つくり2003-03-16
  6. 科学技術と人間の歴史2002-09-13
  7. おもしろ実験?2002-08-20
  8. 非検定理科教科書をつくる運動2002-02-19
  9. 歴史における個人の役割2001-09-20
  10. 歴史的「時」2001-09-16
  11. 危険な時代2001-03-26
  12. さてこれからどう生きるか2001-02-04
  13. IT革命2001-01-20
  14. 主観的時間2000-08-16
  15. 臓器移植の影2000/05/18
  16. 大阪の知事選挙2000/01/18
  17. 宇宙の端の話2000/01/18
  18. 20世紀の哲学は?1999/12/25
  19. 本当の神99/12/23
  20. ゴルバチョフ99/08/24
  21. 日の丸・君が代99/08/22
  22. 普通の国99/08/18
  23. 日本語表現の難しさ1999/7/8
  24. 老後の始まり99/05/26
  25. 勉強について,親は子に何をするべきか?99/03/27
  26. 野村阪神と自・自連合は時代の流れ98/11/21
  27. 東京研修旅行98/11/13
  28. 日本の容疑者とアメリカ合衆(州)国の容疑者98/10/04
  29. 高校野球98/08/19
  30. 夢の話
  31. 広辞苑にあるある言葉の定義の書き換え
  32. 相対主義か絶対主義か?
  33. 民族問題
  34. 色彩感覚
  35. 科学の進歩と人間の進歩
  36. ゴルフが嫌いの談
  37. 庭のやまもみじのこと
  38. 続;ジョギングのすすめ

 トウト(No2)に続く

 

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今日の一言

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反対の真理

人間世界は複雑怪奇,最近感じたこと

  1. 人権を声だかに叫ぶ人ほど,他人の人権を踏みにじることに無頓着である場合が多い.
  2. 平和を求めて戦争が始まる.
  3. 花を愛する人は自己中心主義者が多い.
  4. 反権力を標榜する人は,実は権力志向である.(同じ穴のムジナ)
  5. 平和を論じる人ほど,好戦的である.
  6. 挨拶を奨励する人は,権力的である.
  7. ニコニコ顔で,愛想を振る舞う人ほど,信用できない.
  8. 絶対的優位に立っている時にしか,人間は他者にやさしく振る舞えない?
  9. 仲間作りは仲間はずれ作り.
  10. 遠くでは狂人(個性派)が尊敬されるが,近くでは平凡が好まれる.
  11. 成功の経験はできるだけ早く持つべきである.
  12. 仕事(昼の活動)の神髄は,「福沢諭吉」(1万円)の価値を高める行為,遊び(夜の活動)の神髄は「福沢諭吉」の価値を限りなく堕落させること.
  13. 驚いたことに人は業績で評価されるのではなく,人柄で評価される場合が多い.
  14. 性善説を唱える人間ほど性悪的である.
  15. 人を登用するときは,その登用について誰もが反対しない場合はやめたほうが良い.

 

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面白い関西の方言

いぬ(いの)

犬にあらず,帰るの意.

(使い方)もういぬわ.もういのか.

あかん

だめ,いけないの意

いけず

いじわる

(使い方)いけずしたらあかん

なぶる

いわゆるなぶるの意から転じて,触るの意主に京都地方で使われる.

(使い方)こらなぶるな

ぎょうさん

たくさんの意

もみない

おいしくない.

えらい

偉いにあらず,たいへん,きつい,ひどい,の意.

(使い方)ああ,えらぁ〜.えらいこっちゃ.

()関西の方言と思いきや,広辞苑によると同じ意味で「えらし」で浮世風呂,浄瑠璃等にあるらしい.

古語が残っているものと思われる.

てんご

いたずら

(使い方)てんごせんといて! てんごすな

づつない

胃が重く食欲のないこと

まえて(ませて)

「仲間に入れて」ということ

めばちこ

目に出来る病気,麦粒腫(俗称ものもらい)のこと

おとろしい

(奈良県中部地方)恐ろしいにあらず,なんと面倒くさいということ.関西でもほとんどの人には通じないこの地方独特の言い回し.

(使い方)ああ,おとろしいなあ

まわりする

(奈良県中部地方)準備する.用意する.前後の関係でなんとなく解るがこれも「おとろしい」と同じ地方独特の言い回し.

(使い方)まわりしといてや.

どべ,またはべべた

(関西地区)最後

(使い方)徒競争でどべやった.


なおす

(関西)直す(繕)にあらず,仕舞う,片づけるの意.

(使い方)これなおしといて.

他にも面白い関西弁があったら教えてください.

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おもしろ実験?

 

8月3日、朝8時からのTBS系の番組「リアルタイム」に、ガリレオ工房がの滝川氏などが出演された科学教育ものの企画放送をみて感じたことです。

そこで、滝川氏が千葉県浦安市の小学校で行った実験教室サイエンスレンジャーの模様や、8月1日の「青少年のための科学の祭典」などが紹介されました。

滝川氏などの面白い実験「ショー」のあとに番組のナレーションで、興味を持ったのは子供達よりも、付き添いの保護者のほうでした云々というのがあり気になったからです。

 

子供達の理科離れ対策として、「青少年のための科学の祭典」をはじめ、子供達に興味を引くであろうと、「おもしろ実験」という企画が巷ではやっています。大学でも「夢化学」なんて催しが毎年やられるようになりました。これに関わっている先生達は大いに盛り上がって、その努力は認めるのですが、僕は個人的な体験から、この点に対し、ちょっと違った視点を持っています。

と、いうのは、本当に、子供達の視線にたったものなのだろうかと言う疑問です。

1学期に、本校の高3生が進路について大学のことを知りたいというので、某国立大学のオープンキャンパスを紹介しました。帰ってきてから感想を聞いたら、「何かようわからん」という答えが返ってきました。

 また、本校では保護者で先端研究にかかわっている大学の先生方に来ていただいて、講演を御願いしたことがあります。核融合の話でとても有意義だったんですが、生徒の反応を見ていると今ひとつなのです。

 我々の眼から見ていると、とても有意義でおもしろく感じるのですが、根本的な問題があると思うのです。

 「興味を持ったのは子供達よりも、付き添いの保護者」であったのは、保護者はある程度理屈が理解できたからです。科学の面白さというのは、理屈が分かってこそおもしろいのです。

理屈がわかるためにはある程度系統だった知識が必要です。でも、ここのところが今、最も忘れられているのです。

 

 18日のNHK日曜討論で教育問題が議論されると聞いて期待して見てみましたが、そこで、遠山大臣の答弁を聞いて現実を知らない奇麗事の認識に失望しました。

 生きる力をつけるため、精選された基本の知識を充分教えていると自画自賛されていました、隣に座っていた、中学校長会会長という方も現場は大いに盛り上がっていると胸を張っておられました、本当にそうでしょうか?

 

 科学にとって、そのおもしろさを知るためには、理屈がわかることが必要だと思います。

くり返しにはなりますが、その為にはある一定以上の知識を系統立てて教えてやらないと駄目だと思います。

 ピタゴラスの定理は、天才ピタゴラスが発見したかもしれませんが、今では、中学生でも解けます。何も教えられないで一人でそれを見出せばピタゴラスと同じレベルの天才かもしれませんが、現代にそれができたからといっても何にもなりません。そんなことよりも、そこは、さっさと学習して通り過ぎていかないと時間が足りません。

 ある一定以上のレベルに達してくれば、知ることにより、自立的な探究心が生まれてきます。所謂、「無知の知」ですね。

 いまの教科書を見ていると、内容はズタズタ、断片的、おもしろいがちょっと高度な内容を含むものは全て先送りで、知的面白みを感じさせる機会を奪っています

 ここ30年間の中学理科の教科書をつぶさに調べる機会がありましたが、内容の削減と記述内容の変化には驚きました。昔の教科書は、理屈を教えようという強い姿勢が見えました。今度から使うことになっている新課程の、小学校、中学校、高校総合理科A,Bまでの教科書を真剣に見てほしいと思います。本当にこれで良いのでしょうか。

 教育にはいろいろな分野があるので、他教科のことには言及しません。これは、あくまで理科教育に限定しての意見です。

 

2002-08-20

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非検定理科教科書を作る運動

 

 

昨年秋に高等教育フォーラムに、私が「新しい中学理科教科書を作りませんか」と

の投稿をして以来、それを受けて、直ぐに走りながら考える行動派の左巻氏が具体

的な運動を起こしてくれました。その後の経過は左巻氏の報告にあるように、いま

や燎原の火の如くすごい勢いで運動の輪が広がっています。

この勢いの根にあるものは何か。これは、厚生省や外務省の例を待つまでも無く、

日本の硬直した官僚機構がつくる政策判断が、いまや新しい時代に対応できなく

なってしまっていることに対する国民の苛立ちなのだと思います。教科書検定制度

にかかわる文部科学省も全く同じ制度疲労にかかっているのでしょう。

日本は資源小国です。人材だけが頼りのわが国にあって、科学技術力が国の将来を

決めるというのは、明治時代と何ら変わっていません。とぼけた文教政策は、ゆと

りや総合学習という耳障りの良い言葉に惑わされて、勤勉をないがしろにした、教

育内容の破壊を推し進めてきています。

一般人の預かり知らぬところで、法的には段階を踏んだ正しい処理がなされている

らしいが、回を追うたびに検定制度は、実質的には検閲制度に成り下がってしまっ

て、一律の教科内容を押し付けています。

新しい次期検定本が配本されたことによって、いままでは、比較的社会的運動には

疎く、従順に自分の授業だけに専念してきた多くの理科教員たちも、最早、個人の

自主努力で補える限界を超えた内容削減に、このままでは日本の理科教育が大変だ

と気付き始めています。

この国の将来を託す子供たちに教えておかねばならないことは何か、役人さんに任

せておいては、この国の将来は無いのではないかと切羽詰った気持ちです。

聞くところによると、文部科学省の審議会は、検定基準や小中学校教科書採択手続

き見直しの検討を始めたようですが、無責任もいいところです。発足する前からす

でに欠陥を認めて、改定作業に着手するなんって、一体何を考えているのでしょう

か。

http://www.nhk.or.jp/news/2002/02/18/grri84000000ab7d.html#

 

川原に石を積み上げては、自分で壊し、また積み上げる、役人の仕事だけはなくな

らないようにする配慮でしょうか。

教育も自由化をはからないと、新しい時代に対応できなくなります。

私は非検定理科教科書をつくる運動が、硬直した今までのやり方に風穴を開ける

きっかけになればと期待しています。

2002/02/19

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歴史における個人の役割

 

かってプレハーノフは自著「歴史における個人の役割」で、個人が歴史を動かすのではなく歴史が個人を選ぶと論じたが、9月11日のテロに始まった「新しい戦争」は彼の洞察の正しさを証明している。

 世界を震撼させたハイジャックによる同時テロは、6000人余りの犠牲者と、アメリカの象徴ともいえるワールドトレードセンターの見事なまでの崩壊で、たぶん当事者ですら予想外の完成度で成功した。しかし、2つのビルが崩れ落ちた瞬間、これから世界が経験しなければならないであろう戦争への道が運命つけらように思う。

 形式的にはアメリカ大統領ブッシュ氏の決断が、今後の世界の有り様を決めうるのであるが、彼に選択肢はあったのだろうか?報復以外の選択は事実上ありえない状況に、ビルが崩れ去った事実によって置かれてしまっていたと考えるのが本当である。

 役者が揃い過ぎているというか、神のいたずらな采配というか、好戦的なブッシュ政権が運悪くこの時のアメリカの意思決定をする立場にある訳だが、彼らではなくカーターのような鳩派の大統領であったとしても、報復以外の選択が可能かであるかというと、事実として進行している世界の情勢を鑑みるに、それは無理といわざるを得ないのではないか。

 テロの論理に、「一点突破の全面展開」というのがある。強固なように見える体制も案外張子の虎で、一点を崩すとその混乱の事実が、人々の意識の流動化を起こし、変革に結びつくというものである。

 今回のテロはビンアディンが書いたシナリオかもしれないが、ここまではテロの教科書どおりに歴史は推移しているようである。しかし、流動化を起こしたあとに到達する新しい秩序は、歴史から云えば、多少のジグザグ(反動)はあるけれども、態勢は常にその時代の大衆の正義のある方に動くので、果たして、現代においてそれがイスラム原理側に有るのかどうかはなはだ疑問である。

 しかし、特攻隊生き残りで、老リベラリストの元参議院議員の 田 英夫氏が「身近な人間が命を奪われてもなお、報復に反対するということは、人間として勇気がいる。だが、だからこそ、人が人を殺すことを肯定してはならない。」という悲痛な叫びも(毎日新聞2001年9月18日)、一昔なら多くの日本人に共感を呼んだはずなのに、「まだ化石のようにそんなこといってんの」ぐらいにしか思われなくなってしまっているのも現実である。

 世界大戦終了後半世紀以上、21世紀になっても、結果はどうであれ、懲りるまでやらなければ気が付かない人間のどうしようもない悪い性が、必然のごとく世界の歴史を戦争の方に誘って行く。

 人間の社会なのに、人間がどうすることも出来ない、歴史とはかくも非情なものである。

2001-09-20

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歴史的「とき」

我ら団塊の青春時代、米ソの冷戦構造の中に世界は閉じ込められ時代は動かず閉塞感に苛立ったものである。あの感覚は時代そのものが本当に閉塞してそうであったのか、あるいは、若いが故にそういった心理感覚に陥っていたのか、客観的に検証したわけでははない。

ベトナム戦争はあったし、中国の文化大革命もあったわけで、これらに誘発されて、フランスカルチェラタンの学生運動をきっかけに全世界で学生運動が盛んになり、そのまただ中にいたわけであるけれど、時代は変わるというのだという実感は正直もてなかった。それが正に閉塞感なのだが、東西冷戦構造の時代にあっては、全てが、今から思えば、変わらないんだという「安心感」のある反乱であったような気がする。

ところが、1990年代のソ連崩壊での冷戦構造の解体から、歴史は活動期に入ったようである。後100年もすると、僕らが歴史が動いた時代と感じた、フランス革命やロシア革命の時代同様、歴史の節目と目される一つの「時」の真っ只中にいるのだろう。

機が熟せば、一つの事件が全面展開の端緒となりうる。そういった意味で、9月11日のアメリカの「事件」はテロリストの意図をはるかに凌駕した役割をもつことになる。

テレビに映し出された映画を超えた、劇的な現実は新たな歴史の始まりのシーンとしては本当に暗示的かつ象徴的でありすぎるが、それを、遠く離れていてもリアルタイムに歴史の目撃者(あの日はたまたまニュースセンターの衛星中継を最初から見ていた)てになれるとは不思議な感覚である。

「時代は動いているな」という実感を強くもつ今日この頃である。

2001-09-16

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危険な時代

戦後初のデフレ、ここに来てソフトランディングを目論んだバブル崩壊後の経済立て直しは完全に破綻した。

抜本的な建て直しには、誤魔化し誤魔化しして問題を先送りしていた不良債権処理を避けては通れない事態にまで日本は追い込まれてしまったようである。そうなれば、痛みを伴う構造改革をやらねばならぬようだが、それは大量の失業者の出現を伴うことになり世情の悪化は避けられない。

時代とは皮肉なもので、経済と政治の低迷は運悪くセットでやってくる。政治の政策が悪いから経済も悪化するからといえば当然の現象と言えなくもないが、昨今の政局の末期現象もはなはだしい。

思い起こせば、90年のベルリンの壁崩壊に象徴されるように世界的な冷戦構造の終焉が、日本では55年体制の終焉という形であらわれ、新しい時代に向けた政治の枠組み作りが行われるような動きがあったわけであるが、妥協の産物に終わった選挙制度の中途半端な改革(小選挙区制と比例代表制の併用)は、当初の思惑とは裏腹に小党乱立の政治的混迷を招いてしまった。

ここ数年の自民、公明、保守の連立はもはや落ちるところまで落ちたという実感だが、社会の混乱に政治が正しく機能しなくなったとき、無力でかつ無責任な大衆心理はヒーローの出現を熱望するようになるというのが歴史からの教訓である。

東京都の石原知事、長野県の田中知事の誕生はそういった意味から教訓的である。

石原慎太郎氏はもともとこういった体質の持ち主であることは自他ともに認めるものであるだけに、その手法手腕、方向には危険だけれども、政治屋的である分、ある意味では予想がつき、一種の安心感はあるが、長野の田中知事の出現は全く様相を異にする。

圧倒的な保守王国の長野政界に一介の文筆家が何の組織も、金もなく単身挑んで見事当選を果たしが、それは、公共事業のバラまきを餌に土建業を中心に利権によって作られた自民党の集票システムが破綻をきたしているということを見せつけた選挙であった。

大袈裟に言えば営々と築き上げてきた日本の保守勢力の権力維持機構の本体の瓦解の始まりを象徴する出来事といえる。これは、既成政党がこの時代にあって機能していないという大衆の判断と、何でもよいから出来上がっているこの国の社会システムをぶっ壊してほしいという期待がそこにみてとれる。

圧倒的な県民の支持をバックに、素人臭い政治家「田中」は自分の信念を貫こうとしているのだが、経済システムを無視した「脱ダム宣言」以来、ここに来て側近からも“独裁者”呼ばわりされる事態である。

僕は現段階で、田中知事が成功するか,否かを論ずるつもりはない。興味は、政治には素人ぽい小説家「田中康夫」がどうして知事になりえたのかということにある。玄人が否定され素人のほうが好まれるこの時代風潮に“危うさ”を感じるのであり、田中知事の誕生は21世紀の日本の行く先を暗示する象徴的な出来事のように思われるからである。

2001/03/26

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さてこれからどう生きるか

1949年生まれの齢52、若いころには50過ぎの21世紀がどんなものなのかイメージもできなかったが現実になってしまうと調子抜けのような普通の日常。

しかし、個人的には色々考えさせられることが多かった新世紀の1ヶ月であった。

一つは新年早々飛び込んできた教え子の交通事故死。

医者になって2年目の不慮の事故死である。

二つは新年早々家内が健康診断で再検査を受けたこと。年齢的にも適齢期であるし家系的にも胃がんの家系であるので最終結果の出る2週間の間は本人も家族も最悪を予想した。考えてみれば50も過ぎれば、いつお迎えがきても不思議な年齢ではないのである。

夫婦の死別ということも真剣に考えたこともなかった。結婚以来我が家の家計は完全に家内任せ、預金、保険の内容なんて僕の預かり知らぬことで過ごしてきた。簡易金庫の開け方さえおぼつかない。学生の時に知り合った我々は当然同い年なのだが、女の方が平均寿命は長いし、何故か、僕が後に残るだろうとは考えもしなかった。

家内はこの際にと、僕と子供にまさかの時の用意を説明したが、それが必ずしも無駄な行為といえない現実感に今更ながら生の儚さを思い知らされた。

三つ目もあるのだが、書くも馬鹿らしい事柄ゆえ、ここでは省略。

翻って世の動きを見てみるに、世間では我々団塊の世代を飛び越しての社会の体制作りが画策されている。

戦後のどさくさにどっどっと生まれ、子育てに余裕のない親の時代に育った団塊の世代は、屈折した精神生育のせいか、妙に原則にこだわり、群れることを嫌い、かといって人前に立って自己主張できるほど自分に自信がもてない故、新しい社会体制には向かないらしい。

しかし、働いても後10年、突然降って沸いたような疎外された情況ではあるが、それを甘んじて受け入れ、団塊らしい生き様をしてみるのもいいのではないかと思うようになった。

団塊の世代は組織嫌い、本質的にはアナーキーなんだから。

もっと自由に!!

2001-02-04

 

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IT革命

21世紀は情報の時代と云われている.この分野での進歩には確かに目を見張るものがある。個人的には1996年、WINDOW95が出てすぐからのかかわりではあるが、この間にこの分野で動いた資本は膨大な額になり、その環境は想像を絶するスピードで進化している.

しかし、この分野での日本の対応は世界水準から大きく出遅れていることは否めない.

これは、日本の電信電話がNTTが分割された現在でもその官僚的体質と利権擁護のため国際レベルから隔離された環境でぬるま湯に浸かっていることを許しているからに他ならない.

自由競争は限りない可能性の追及を可能にする.

たとえば,国際電話の領域でもアイデア一つで信じられないような格段の低価格で同じサービスを提供できるのである.

試しにインタネットの検索で「格安国際電話」を調べてみて欲しい.

そこに国際電話Globaltelというのがでている。これは、国際国際フリーダイアルを利用したサービスらしいが「平均」して、KDDより78%格安、DDIより68%格安、ワールドリンクより29%格安、1分間、日本からアメリカへ16.64円、ロンドンへ18.2円、カナダへ19.24円と、国内の東京〜大阪間の30円よりもはるかに安い料金で国際電話が掛けられる.国内の携帯電話も一旦アメリカ経由でかけたら40円ほど出かけられるのだから驚きである.

ぼくは、この会社の回し者でも関係者でもないが、実際このサービスを受けてみて日本の電話代がアメリカの水準からして高すぎることを実感した.

如何に日本の通信環境が国際レベルから遅れているか国民は事実を知るべきである.

ようやく我が家もISDNでの常時接続が可能になり少しはその恩恵を実感できるけれど、これでも国際レベルからは程遠い。接続速度,料金ともに不満がある.

現在は月額6000円までに下がったが,1000円程度にまでは下げてもらいたいし、たぶん可能であろうと思われる.

2001120

 

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主観的時間

20代より30代、30代より40代、40代より50代と、人間は歳を重ねるにつれ時間の経つのがだんだん早く感じられるようになると、若かったころ先輩たちから幾度となく聞かされた覚えがある。

その当時は、怠惰に時間を弄んでいる若い世代に対する御節介老人からの「時間は限りがあるので大切にしなければならないよ」という老婆心からくる忠告か、という程度でしか受け取っていなかった。

しかし、自分が今50歳を過ぎるにあたり感じるのは、確かに1日の経つのが昔よりは速いのである。

充実している時は時間の経過を速く感じられるというのは、そのことに夢中になっているからで、時間の経過などにはその瞬間は無頓着だからだろうと分かるのだけれど、歳を重ねての時間に関する感覚はそれとは質的に違う。

何故なら、日永1日、何もすることがなくボーっとしていても時の経つのは相変わらず速いのである。

これは、時間経過を認知する根本的なところで経年変化をきたしているとしか思えない。

物理的な時間の1時間は普遍的であるけれど、それを認知する側の感覚がどうも歳をとるにつれ短く感じているようである。

気が長くなっているのだろうか、待つということに昔ほどいらだちも感じなくなっている。

どうしてこういう変化をきたすのか2つほどの理由が考えられる。

1つは、時間を認知する基準は、いつも自分が今まで経過してきたトータルの時間を元に感じてしまうからではないかと思うのである。

20歳のときは、20年間を基準に1年を考える。50歳になれば50年を基準に1年を考える。とすると、歳をとるにつれ1年間という期間の相対的な長さの感覚は短くなっていく。

もう一つは、歳をとるにつれ肉体の衰えは増幅していく。仕事率からすると当然悪くなるのである。しかし、脳で認知するのは仕事の絶対量でしてしまうので、動作がのろくなった分、時間経過が早くなったと感じてしまう。

何れにせよ,50の坂を越えてしまうと,残された時間が10年にせよ30年にせよ、その時間間隔は明確に意識されてくる。そして,それは恐ろしく短く感じられる。

スポットライトに明るく照らし出されている舞台に幕が下りるように、人生夢舞台の終章を急かされているようである。

2000/8/16   何もしていないのに今年の夏休みも半分以上が過ぎてしまったことに感じいって・・・・・。

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臓器移植の影

2000517日の新聞(毎日)に,元プロレスラーのジャンボ鶴田氏が,フィリピンで肝臓移植手術中の大量出血により死亡との記事が載っていた.

氏は,末期の肝臓癌であったという.手術をした、国立の腎臓・移植研究所のオナ所長は,『癌の症状が進んでいて仮に手術が成功していたとしても1年ももたなかっただろう』とコメントしている.

一方、当事者側では、死因などは,遺族の意向で一切発表できないとしているらしい.

何故か?

ここからは,この記事から得た情報からの僕の推測でしかないが,この「移植」には相当の無理が存在している.

末期癌患者、しかも外国人に当たる日本人に、何故移植が優先されたのか?

手術中の大量出血は、末期癌による全身状態の悪さに起因していたとも推測されるが、転移など十分に考えられた末期癌患者が移植対象になることは素人の僕が考えても腑に落ちない.何か特別の事情があったとしか考えられない.

鶴田氏は2日にマニラ入りし、12日に交通事故で脳死状態になったフィリピンの男性(20)ドナーから提供を受けたという.

あまりにも,手際が良すぎる.

これは、どう見ても,遺族としては,移植に至った経緯を発表出来ない「相当」の秘められた理由があるとしか考えられない.

たぶん、この例は,たまたま発覚したもので、フィリピンでの日本人に対するこのような移植手術は多く行なわれ,ビジネス化しているのではないかと疑われる.

日本国内での脳死臓器提供の少なさから,フィリピンのみならず,お金にものをいわせた海外での臓器移植は相当数行なわれているのであろう。

最近,中米のパック旅行の観光客が「子供さらい」のデマが元で,原住民らによるリンチ殺人事件があったが、その国では,臓器移植提供の「材料」として、子供が組織的に誘拐されていたというから、最早,発すべき言葉を失う事態である.

「臓器」が売買されている!!

移植医療が究極の「治療」で、この技術によって得られる福音には、その本当の対象者にとっては計り知れない物があるだろうけれど,

欲深い人間世界にあっては、「強者」が「弱者」の臓器を奪って(食って)生き長らえるという,おぞましい構図が闇の世界で進行していることも事実である。

闇のビジネスであるだけに、暴力団,マフィヤ等の介在も匂ってくる.

このような倫理的に許されざる「移植ビジネス」の実態を、早急に調べる必要があるのではないか.

10年前に懸念(臓器移植)していたことが現実のこととなってきているように思う.

2000518

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大阪の知事選挙

大阪と東京で無党派の時代の流れにのり圧倒的多数に支持されて颯爽と発足した青島都政とノック府政は、2期目で明暗を分けたかに見えた。

青島は結局、都の官僚組織に埋没し、都市博を中止した以外たいしたことは何も出来ず都政赤字を増大させて、1期目の失政から期待とは裏腹に自身の政治生命も終わりを告げる羽目に陥った。

それに対し、大阪のノック知事は、政治的に何も出来なかったことに関しては、タレント知事として失敗した意地悪ばあさんの青島と同じであったのにもかかわらず、そこは東京とは一寸違う大阪の乗りで、お笑いタレントの人気だけも、2期目は他の追随を許さぬ圧勝裏に選挙を終えた。

この対比は、評価はプラス、マイナス、分かれるにしても、流石は大阪、「東京とは違いまっせ」 と思わせた。

しかし、その絶頂時に、これまたすぐに政治生命を終えなければならぬことをしていたとは、当の本人ですら当時意識になかったであろう。

容疑のセクハラが芸人の洒落程度であったのか、それは知らないが、当初は政治的陰謀もあるのかなと思われたこの事件も民事裁判の敗訴の容認を受けて、その「事実」の存在は疑う余地のない事態になり、結局、刑事告発の起訴を受けての被告の立場と引き換えに知事の座を転がり落ちてしまった。

これまでのことは、青島知事の無様な不戦敗を受けての転落と比して、ノックのそれは気の毒ではあるが、お笑いタレント知事としての末路として、物悲しくはあるが、彼の愛嬌のある顔を重ねると、一寸笑えて許されてしまう事実は、ある意味ではどんな優秀な作家ですら考えもつかない彼に相応しいシナリオであるように思われる。

後世に彼の名が残るとすれば、長くやった参議院や知事ではなく、この辞めさせられ方によってではないか。そして、これは大阪という風土の中で脚色される。やっぱりこの事態においても、流石は大阪、「東京とは違いまっせ」と言うところである。

大阪とは、関西人にしか理解できない体臭がある。

 さて、問題はその後継の話ではあ。共産党以外は、有効な後継候補が見つけられない情けない事態になっている。

連合と公明党が思いつきのように提案した、セクハラ知事の次にはお詫びの女性候補を、という安易な論理にのるしかない政治的センスは、大阪の本質を理解しない永田町の政治屋さんの感覚である。

ピンクの服を着て、「標準語」で利発そうに中央とのパイプの太さだけを強調する元中央官僚の、この女性落下傘候補に、大阪人が上から言われたからといって、果たして「はいそうですか」と一票をいれるのであろうか。

この候補がもし当選するようなことになれば、大阪はここにきて名実ともに「落城」のような気がするのは僕だけだろうか。

今からでも遅くはない、流石は大阪、「東京とは違いまっせ」と言うウルトラcを出してもらいたいものである。

そんな元気は、もう大阪にはないのかなあ。

2000/01/18

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宇宙の端の話

「宇宙が空間・時間的に始まり(終わり)を有する.(有限である)」というテーゼとそれに対する

「宇宙が空間・時間的に無限である.」というアンチテーゼはカントが純粋理性批判において論じた

有名な、第1アンチノミー(二律背反)である。

 この問題は、大哲学者カントのみならず誰しも一度は悩み眠れぬ夜を過ごした経験があるのではないだろうか.

カントの解決法は、合理的認識能力であるとした理性が、それ故に誤謬を生じ自己矛盾に陥る場合もありうる事を証明して見せた.

すなわち、宇宙が有限であるか、無限であるか、どちらかが正しければ、一方は間違いと言うことになるのだが、この問題がそう簡単でないことは、どちらかを正しいと思ったその瞬間、例えば有限であるとすると、その端の向こうはどうなっているの?、その次の端は??というように次々と自己矛盾が増大し疑問の輪環地獄に突入する。

では、どうして理性的判断が解決不可能な自己矛盾に陥ったのであろうか。

それは、このテーゼの共通の前提、宇宙は時間的空間的量を持つという思い込みに起因するとカントは考えた.

前提が崩れると結論は無効になる、すなわち矛盾は解決されたのである.

真理は、宇宙は時間的な量は持たない、時間は宇宙(客観)自体の量ではなくて、主観の性質(感性の形式)であると彼は考えた.

この推論には、面白い喩え話がある。

方位における北は、北極である。南は当然南極であるが、まっすぐ北に向かって進んで北極点に達したらどうなるか。北極点に達したその瞬間、そこからはあらゆる方向が南なのである. かくして東西南北の方位の概念は喪失する。

理性が陥る自己矛盾は、全てこのように何らかの形で「絶対」とか「究極」に関わっている。

時間が主観のもので、宇宙が時間的な量を持たないかどうかの哲学的な論議はそれこそ「時間」の究極的定義が不明確であるので深入りはしないが、「時間」が物理量として客観的に存在するものとしてでもカントの第1アンチノミーは充分解決できるものと思っている.

 回転ドラムの上を歩いている蟻を考えてみる。

蟻は、行けども行けども「端」にたどり着けない。彼にとってはこの世界は「無限」なのである.

ところが、傍らでその様を観察している者からすれば、自体は明白である。蟻は同じところをぐるぐる回っているだけなのだ。

ドラムの上の蟻の世界は、言うなればX-Yの二次元世界(平面)である。地球が球形であると認識する以前の世界に等しい。

二次元世界に留まる限り、この「無限」は解決できないが、X-Y-Z3次元世界(空間)に居る者からはそれは「無限」でもなんでもないことは自明である。

人間が直感的に認識できる世界は、この3次元世界である。

しかし、宇宙はX-Y-Zの空間座標にもうひとつ時間軸の加わった4次元空間で出来ているのであるが、3次元空間しか直感的に認識できない我々にとって4次元空間は真には理解できない。

我々は、次元をまたがって存在しているのである。

かくして、「真理は、宇宙は時間的な量は持たない、時間は宇宙(客観)自体の量ではなくて、主観の性質(感性の形式)である」と考えたカントの第1アンチノミーの解釈は次のように逆転する。

「真理は、宇宙は時間的な量をもつ、時間は宇宙(客観)自体の量であるが、客観の性質(3次元世界)ではない」

客観の性質(3次元空間)しか認識可能な理性は、4次元空間を理解できないのである。2次元平面に居る蟻のように。

2000/01/18

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20世紀の哲学は?

20世紀に大きな影響を与えた哲学者と言えば,19世紀に生きた,ダーウィン,マルクス,ニーチェの三人を挙げることが出来るだろう.

ダーウィンが1809年から1882年,マルクスが1818年から1883年,ニーチェは少し遅く1844年から1900年に生きた.

この中で20世紀の世界に最も影響を与えたのはマルクスであろうか.

 1770年代にイギリスで起こった産業革命は,機械の発明とその使用による大量生産方式は,資本主義を確立し新しい市民社会を生み出していった.

 しかし,資本主義の発展は,資本の集中と新しい階級分化と対立,人口の都市集中などをもたらし,新しい深刻な問題を生み出した.

19世紀に入るとその矛盾はあらゆる場面で露呈しはじめた.

最大の矛盾は,植民地戦争と列強間の覇権を巡る帝国主義戦争であろう.19世紀末から20世紀初頭にかけて,戦争は,多くの市民を巻き込んだ形で,これまでにない規模で世界中に広がり,それらの矛盾はいよいよ抜き差しならぬところまで進んでしまった.

 このような国家間の際限の無い凄惨な戦争が何故起こるのかについて,マルクスは「それは資本主義の本質から生じる必然」であると明快な解答を用意した. 資本主義は,その本性として絶えず外側に新たな市場を必要とする.だから,資本主義国家は権力を集中し,外に向っては市場拡大の為に侵略的にならざるを得ない宿命にあると.

 だから,この矛盾を根本的に解決するには,資本主義の根本原理,すなわち,私的所有と経済の自由競争をこの社会から取り外すことを示したのである.こうして,20世紀の初頭には,マルクス主義は社会変革の実践思想として多くの人々に受け入れられ,1917年にはロシア革命により初めての共産主義国家が誕生させた.

マルクスの考え方は,経済論にとどまらず哲学的な人間の在り方,史的唯物論の歴史観にまで広範囲に及び多くの人の支持を得た.

 しかし,マルクス主義は本来「人間の生」を抑圧してやまない「国家の権力」を如何に死滅させ,人間性を取り戻すのかという点を課題にしていたのに,皮肉にも,資本に取って代わった新たな社会帝国主義の官僚制度によって資本主義国家以上の極端な抑圧機構を造ってしまい,1980年代には自己崩壊を起し滅んでしまった.

 

 ニーチェはナチズムに影響を与えたといわれている.そういえば,ニーチェとヒットラーはその病的な表情がよく似ている.ワグナーに惹かれた様に感性的にも似ていたのだろうか.

 ルネッサンス以降の自然科学という世界観の出現は,キリスト教の世界観の瓦解の始まりであった.

哲学の大きな命題は,「認識」の原理と「善悪」の基準,「生」の目的を見極めることであるが,キリスト教が全てであった時代にはこれらの命題の答は,人間以外の所()にありそれに従っておればそれですんだ.

 しかし,自然科学的認識の向上とともに,キリスト教の絶対性は崩れて始めた.

17世紀のデカルトから,18世紀のカント,そして19世紀のヘーゲルに至る近代哲学の潮流は,キリスト教に依拠しない新しい時代の世界観の再構築にあった.

 ヘーゲルは,人間は誰でも「自己中心性」を持ち,自分が愛されたい,認めて欲しいいという欲望を根本的に持っているという.これは,一見道徳の実現を拒む根本原因のように考えられるが,自己愛を成就するためには,人間が社会的な存在である以上「他者の承認」が必要となるので,結局,自己愛を完結するためには,他者を認め,他者との関係の中で自己の存在意義を見出さなければならないということを理解することよってしか「善き」ことを意志するようになれない.「善き」ことの基準は他人()が決めるのではなく,人間の存在の本質を知れば知るほどその思惟のうちに「善き」ことを目指す理由も自らつかむ存在であると.

 そして,歴史は,理性(イデー)の本質が自分自身を実現するプロセスであり,その目標は,人間の理性が最高の形で自分自身を社会制度として実現するときということになると.

 このように,それはソクラテスをその源流としアリストテレスにより大成されたギリシャ哲学の真髄、すなわち、知識と理性に信頼をおき,正しく推論すると必ず真理に達するという理論的楽天主義の枠内からの完全脱皮ではなかった.

こんな古典的観念論では,進行しつつある、この時代の悲劇を救うことなど到底出来はしないとニーチェは考えたのである.

 彼は、権力の意志の中で「根本洞察.すなわち,カントも,ヘーゲルも.ショーペンハウアーも−懐疑論的・判断中止論的態度も.歴史主義的態度も,ペシミズムも−道徳的起源を持っている.私は,道徳的価値感情の批判をあえてなしたものを一人として見たことはない.」として昂然と今までの流れに背を向けるのである.

 彼は,道徳の「うさんくささ」に気付いた.

道徳の起源は人々の恐怖や不安にを和らげるところにあり,その目的の遂行のため弱者が集まろうとする本能に由来すると考えた.

道徳の代表的な徳目は利他性に在り,弱者の願望であるとした.

彼の道徳批判は道徳そのものの否定ではなく,道徳が人間の自然の在りようを抑圧するに至る,奇妙な顛倒の論理を暴くことにあった.

道徳を「うさんくさく」するものはルサンチマン思想である.

これは,キリスト教の「汝のを愛せよ」という不自然な道徳律の成立で説明される.

ルサンチマンとは怨恨,憎悪,嫉妬,羨望などの感情が反復され内攻して心中に積もっている状態を言うが,これは,弱者の感情である.

 虐げられたものがその状態を素直に認めようとせず,そのような状態にあってもなお「相手を愛せる人間性」の優位を強調することで立場の顛倒を計り,自らを立場を誤魔化して,自らの改革の機会を放棄していると指摘する.

 何故なら,ルサンチマンを持たない人間は,素直に現状改革の行動に出てより高い次元に自らを導く様に動くはずだが,ルサンチマンを持つ人間は,現状の惨めな矛盾を認めたくないがためウジウジと現状を呪うのみで,心の中で精神の上位性を拠り所に現状の否定を試みるだけである.

ニーチェはキリスト教のみならず道徳を起源とする哲学が押しなべてルサンチマンの虜になり,高揚化する機会を失い,自ら人間を平均化,凡庸化していることに徹底して警鐘を鳴らすのである.

この思想が,第1次世界大戦の敗戦で莫大な賠償金に喘ぎ自信を失っていたヒットラー率いるドイツ人の自尊心を目覚めさせ,大ドイツ帝国建設のドイツ人にとっての高邁な理想推進に役立った.

あの頃のナチスの映像を見ると,確かに神懸り的な高揚感が伺えるが,しかし,ユダヤ人虐殺など信じがたい狂気も漂う.

 

ダーウィンは,前の二人とは違いイギリス人でありまた後に神学を学んだといえ,医学を修めた地質学者,動物学者で今で言うところの理科系人間である.

彼の進化論,適者生存の自然淘汰説は,当時成長過程であった資本主義の自由競争原理の正しさを擁護する説として歓迎された.

 哲学における『正しい認識』は,ニーチェの論にあるように西洋哲学の伝統ではソクラテス以来「道徳的起源」を持つものが考えられた.だから,倫理的にダメのものは最初から問題にされなかった.

面白いことに,この三人の中では,ダーウィンだけが,先に述べた様に神学部に変わったとはいえ医学部の出身で地質,動物学の研究者が本職の今で言うところの理科系人間である.生粋の哲学者では無いのだから,哲学界のしきたりからは無縁であったことは想像に難くない.

しかし,強者の論理を前面に押し出した当時の進化論は,理由は全く違うにせよ神学的立場のみならず,流石にそのまま容認するには,倫理的に問題が大きすぎる故,そのまま受け入れ難いのか,哲学界でめぼしい発展議論はなされた様子はない.

 進化は,偶然によるものか必然によるものか,目的なのか結果なのか議論は多いが,その後の生物学の知るところでは,強者のみでは必ずしも生き残これるとはいいきれないことも解ってきているので,進化論はもうすこし見直されても良いと思う.

 自然の法則を社会科学に応用する手法は,マルクス主義でも弁証法の補強としてエンゲルスによって,ぎこちないこじつけのキライが感じられぬではないが,「自然の弁証法」で使われている.この方法は,ギリシャ哲学からの伝統的な流れとは全く源流を異にした科学的哲学として,これからはもっともっと有用な手段になるべきだと僕は思っている.

 人間だけに認めらると思われている優れた精神作用の結果における認識も,それを考えている脳細胞が,物質としてはありきたりの元素で出来ている以上,物質としての普遍的な性質からは逃れられないものであると僕は考えている.だから,優れて形而上的と思われた事象ですら,物質世界の動きの中にそのヒントが潜んでいるはずだと思っている.

 結局20世紀が終わる今になって考えてみると,20世紀を制した底流の思想は,その起源が伝統的な哲学の手法に則らなかった為に,哲学者たちからはあまり議論の対象にならなかったが,この進化論ではなかったかと,認めざるを得ないのではないだろうか.

直感的なイメージから,マルクス主義はロシアに,ニーチェの思想はナチスドイツに,そしてダーウイニズムはプラグマティックな資本主義の盟主アメリカにそれぞれの影響を色濃く残した様に思う.

 

ウゥ…・ン,  ここまで散々書いて根本的な疑問が.

思想が果たして時代を動かしうるものなのだろうか.これは時代の後追い解釈ではないのか.

カントやヘーゲル,ニーチェ等の難解な哲学がその時代の如何ほどの人々に理解されていたのだろう.たぶん,ホンの一握りの知識人だけであっただろうに.

マルクス主義は,人間の知性によって,時代の設計図が先に書かれた歴史上初めて思想との評価を受けたが,それは正しいのだろうか.

1917年のロシア革命やそれに続く階級闘争が理論に導かれて起こったとは思われない.やはりこれも後追い解釈のような気がする.

確かにジャンヌダルクのような英雄が時代の扉を開けた様に見えるけれど,それは,その時代に数ある前衛の内の1つが,時代に選ばれた結果なのではないか.

「英雄または思想」を選ぶ「時代」を突き動かしている根本原因はもっと別なところにあるのではないか.

それをとくヒントは,,ルネッサンス以後それまで宗教の影に隠れて見えていなかったが,初めて人々の意識の前に顕在化しはじめた自然科学にあるのではないかと思う.

 ダーウイニズムはまさにこういった観点から初めて認知された,これまでの哲学とは質的に異なる起源を持つ思想である.

20世紀が終わってみると,レーニンやヒットラーによって始められた壮大な時代の実験はことごとく失敗し,道徳的起源を持ちたがる伝統的見地からは問題は多く残るけれど,ダーウイニズムを超える思想は結局育ってこなかったのではないか.

最も,ダーウイニズムも古典的なものではなく,適者生存,自由競争に今では化学平衡の概念で修正された総合的科学主義というべきものかも知れない.

21世紀にかけては,ますますこの方向が確固たるものになっていくに違いないと僕は予感する.

 1999/12/25

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本当の神

宗教にとって必要な要素とは,人間にとって根元的不安,すなわち自分自身の「生」について不確定性を最終的に全て引き受けてくれる強い意思()の存在である.その偉大さを愚かな人間に実感させるためには,一方的,断定的に命令を下す.

信じるものにとっては理屈を超えた神聖な行動なのだろうが,部外者から見るとそれは実に滑稽極まりない.しかし,この行動が滑稽であればあるほど強い意思の存在の証明になる.

一日に何回も聖地の方に向ってお祈りを強要したり,食べ物を制限したり,はたまた,断食を強要する.時には,聖戦の為と称して喜んで命をも捧げさせる場合もある.

問題になった,オームは日本の新興宗教にしては,この要素を概ね満たしていたと考えられる.馬鹿げた殺人にさえ走らなければ一定の影響力を持つ宗教に成長した可能性はあったであろう.

宗教の本質は,徹底的な自己の虚しさの自覚である.死の恐怖からの開放である.その為に過酷な「行」が用意されている.その境地に達したものに最早生と死の区別がなくなるのであるから『死』は特別な意味を持たないのであろう.それが,伝統的な解釈の「悟り」である.

 しかし,僕はこのような神は好きではない.「好き,嫌い」などの感情が入ること事態,僕はとっくに上記の神からは見放されているのだろう.かといって,全くの無信教者と言うわけでもない.むしろ,信心深い方である.ただ,何々教と言う既成宗教のような神を信じてはいない.

 僕のイメージしている神は,「善人なをもて往生をとぐ,いわんや悪人をや」という親鸞のそれに近い.馬鹿げた行や善行の有無,お布施の多寡などのけち臭い判断基準でしか評価できない狭量なものは本当の神ではないと思っている.

本当の神は,在るがままの人間を丸ごと受けとめてくれるものであると思っている.

自分だけに愛をくれる神様しか理解できない,わがまま,身勝手な者にとって,この,全てが許される,普遍的『愛』の神は,それは,可愛そうだが,「無い」のに等しい(解らない)のである.

 19991223

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ゴルバチョフ

プレハーノフはその著「歴史における個人の役割」の中で,歴史は時代に相応しい役者を選ぶと述べているが,70年間世界に君臨した赤い帝国ソビエト連邦を終わらせた主役はゴルバチョフであろう.

しかし,ゴルバチョフはプレハーノフが意図したこれまでのヒーローではない.彼が解析を加え,想定した歴史上の人物は,ナポレオンを始めとして,新しい時代を切り開き担ってきた革命家であって,滅び行く旧体制の指導者ではなかった.

滅び行く旧体制の指導者が歴史上これほど評価された例はなく,そういった点から見てもゴルバチョフの役割は歴史学者の常識を超えた希有な政治家であったと思っている.

徳川幕府の崩壊の将軍慶喜がスケールは比べ様もないが,似ているといえば言えるかもしれない.

権力奪取のために体制を変革したい側には,力の選択しかあり得ないので,変革時に流血の騒ぎが起こるか否かは旧体制側の対応にある.

普通,変革時の旧体制側にあるものは持てる力を総動員して,既存の権益,権力の延命を計ろうとするので当然そこでは壮絶な闘争がおこる.

権力闘争ではスターリンに代表される様に旧ソビエトの共産政権では聞きしに勝る壮絶な戦いが繰り広げられてきた.ゴルバチョフもそういった体制での共産党のトップになるためには,それ相応の伝統的共産思想の信奉者であったはずである.

世界を二分していた一方の盟主として選ばれるには,体制維持のためには相当冷徹な保守主義者でなくてはなれなかったであろうと思われる.

しかし,彼の対応は違っていた.

当時の彼の立場なら,まだ歴史の流れを力でしばし封じ込めることはできたであろうに,伝統的なロシアの膨張主義を棄てエストニア,ラトビア,リトワニアのバルト三国分離独立をあっさりと認めてしまい,それ以後のソビエト連邦の崩壊を誘引した.

権力の中枢にあってこの非ロシア的選択をした彼の柔軟性の解明は後世の歴史研究者の関心事となるであろう.

イメージ的には,それ以後をになったエリティンのほうが正統ロシアの保守政治家という雰囲気で,キャラクターからは主役の逆転現象を起している.

時代は,エリティンを選ばずゴルバチョフをソ連の最後の書記長に選んだわけだが,もし,逆であったらたぶん多くの流血を見ることになったのではとなんとなく思ってしまう.

まだ,ソ連崩壊から10年ほどしか経っていないので歴史的評価を下すには早すぎるが,ソ連末期の共産党においてのゴルバチョフの選出と彼の行動は後世の歴史家達によりより適確に総括され,20世紀の世界史の1頁を作った重要な出来事の主人公としてゴルバチョフの名前は永遠に残っていくことと思う.

99/08/24

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日の丸と君が代

日の丸と君が代が国旗と国歌に制定された.

この決定に反対する人の大方の立場は,国を識別するために国旗は必要なものであろうし,儀式の時に国歌も無くてはならないという理由はわかるにしても,それが,日の丸,君が代であることに異議を唱えている様に思う.

日の丸は日本帝国主義のシンボルであり,君が代に至っては天皇賛美の歌であるが故に承服しがたいというのである.

正直なところ僕自身,嫌な感情を持っている.惑っている.

それは,大方の立場の人達と同じく,先の忌まわしい我が国の歴史と重なっているからという面もあるが,それが,日の丸,君が代であるからではという理由だけではない.

アメリカなど少数の国を除けば,国はほとんど民族と重なり,どのような国旗国歌であれ,そのものが民族主義の象徴に成り代わることに虞,こだわりを感じている.

血で繋がった集団〈民族〉の論理〈民族主義〉は,しばしば理性的判断を凌駕し,人々を排他的な選民思想に行きつく.

自分の属する集団への帰属「愛」は,怪しげな妖気で人々引きつける.一体感のエクスタシーは人々の理性的判断を停止させてしまい,時には,自己の命さえ集団に捧げ,挙句の果てには集団そのものをも自滅させるほどの狂気を生む.

国旗と国歌は,帰属「愛」,すなわち狂気の民族主義を醸成させる有効な道具となりえる虞を知るだけに,僕は嫌なのである.

「愛」は,総ての矛盾を昇華させてしまう怪しげな魔力がある.個人的な男女の性愛は子孫を生むが,国家権力に後押しされた「愛」国には民族紛争が起こる.民族主義が世界を覆えば破滅しかない.

歴史は繰り返すというが,また,螺旋的に進化するとも解釈できる.どうなるか先のことは分からないが,これが僕の杞憂で終われば幸いである.

99/08/22

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普通の国

国旗国歌法案をはじめ,心配な法律が次々成立する.

忌まわしい先の戦争の体験世代も70歳以上になってしまい,これも時代の流れかとも思う.

ソ連が崩壊し,それまでの社会主義の体制内部の恥部が顕になるにつれ,右の勢力が元気づいている.

日本も「普通の国になれ」という掛け声が日増しに大きくなり,戦争懺悔の自虐を脱して,経済大国にふさわしい政治大国になれるようで,大方の日本人には耳障りの良いスローガンになってしまったようである.

確かに,戦後のわが国においては戦前の軍国主義の反省から,国の意識を持たせることを極端に嫌った教育がなされていた.

ナショナルなものよりインターナショナルへ,それが戦後教育の指標であった.

ソ連がまだ元気でアメリカを名主とする西側との固定されたイデオロギー対立の時代には,日本左翼の理想主義も国内においてはそれなりに輝きを持っていた.

何故それが急速に輝きを失ってしまったのか?

一方の名主であったソ連の崩壊が大きい影響を与えている.それ以後の旧東側陣営における民族主義の台頭,湾岸戦争に始まって今回のコソボに至る旧連合国主導による武力行使と国連平和維持機能の破綻は,我々日本人の世界史における認識を一気にかえさせてしまったようである.

戦後の日本人の意識には,先の敗戦を境に世界は革命的,不連続に変化したと思いこんでいたが,それは日本人だけの幻想で欧米列国からすれば,第1次世界大戦から現在に至るまで彼らの世界観は変わらず連続していることに気付いたことである.

「民族主義」と「力は正義の覇権主義」この古典的亡霊は21世紀を目前にしても健在である.

今,「普通の国になれ」というのは,戦後日本人が理想として追求して来たインターナショナリズムの放棄,戦後不連続に変化した我々の不戦意識の封印で,欧米列国の意識に復帰することを意味している.

翻って見れば,明治維新後の日本の近代化のため西洋文明の移入にそれなりに成功し,調子に乗って欧米の真似をして大陸に出ていったのがそもそもの間違いであったのではないか?

「普通の国になる」と言うことは,彼らと同じ世界観に同調することであり,昔と同じくいままた同じ轍を踏むことになりはしないか.

最近の動きを見ていると,この国の将来が少し心配になる.

何故,恒久平和を希求する「特殊な国」で有り続けたらいけないのだろうか?

99/08/18

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日本語表現の難しさ

中学3年理科の問題で気楽に次のような設問をした.

「ボールを真上に投げ上げると6秒後に落下した.何メートルまで上がったか.また初速度はいくらであったか.」

何処にでもある平凡な表現で作問時は表現に誤解が生じるような問題があるとは思わなかったが,生徒の解答を見ると二通りの読み方があることに気がついた.

1つは,こちらが正解としていたとおり,ボールを投げ上げてからボールが地面に落下するまでの間に6秒間が要した.という解釈であり,正解は441メートルまで上がり,初速度は294メートル/(時速106km)

2つめは,ボールを投げ上げてから6秒後に落下しはじめたととらえて,結局この場合は12秒間かかって地面に落下したとする解釈である.したがって答は,1764メートル上がり,初速度は588メートル/(時速212km)となる.

2の解釈をした生徒は圧倒的少数派であるが,どうしてそのような解釈が成り立つのであろうか.

「落下した」という日本語には,「落下した状態」とともに,「手を放すと落下した」という用法のように,どうも「落下しつつある運動状態」を示すニュアンスも含まれている様である.この感じ方が人によってはどうも違うらしい.少数派の人達は「落下した」を「落下しつつある運動状態」と強く感じる人たちの様である.

どうしてこのような感じかたの違いが生じるのか不思議である.

ちなみに,こちらの意図した通り投げてから6秒後に地面に落下したとして解いていた生徒は174名中93名でその平均が683点,頂上までの時間として捉えて解いた生徒は14名で平均が634点であった.(配点は,どちらも正解としての点)

この問題が,不正解の生徒はどの様にとらえているか解析不能なのでどう評価すべきか不明なのだが,67名でその平均が476点であった.これらの生徒も同じ割合で解釈しているとして母集団から除外すると,1の解釈をする人は,87%,2の解釈をする人が13%ということになる.

実際に実験する立場に則して考えると,投げ上げた物体が落ち始める時刻を起点にすることなど不可能で,足元に落ちたときまでとするのが常識的な判断だろう.また,出てきた答が,人間離れの時速200kmの初速度となれば変だと思うはずと考えられる.

しかし,確かに2の解釈をした人の平均点が若干悪い結果がでたが,残念ながらこの程度の差で果たして理科的なセンスの有無との関係があるかはとても断定できるものではない.

 ただ「落下しつつある運動状態」と感じる人も,「6秒後地面に落下した.」というように「地面に」という言葉が入ると「落下した」のは「落下した状態」と感じる様である.

ところが「6秒後地面へ落下した」とすれば,また解釈は2通りに分かれてしまう.

日本語とは,かくもデリケートな表現言葉である.驚き!

199978日記

 

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老後の始まり

この429日で齢50を越えた.

平均寿命が延びたせいか,肉体的には昔の基準で言うと10は引いて丁度ぐらいで,まだまだ老いを自覚するほどでもない.

巷で騒がしい高齢化社会の問題など,まだまだ自分のこととして考えてみる気も起こらない他人事であった.

しかし,思いがけない事態に遭遇し老いの始まりを思い知らされるはめになった.

 それは,この4月からの我が家の日常の激変である.

大学生であった長女は男女機会均等法施行第1期生の総合職として就職し社会人一年生となり,帰宅は毎日夜9時ごろになった.

代わって大学生になった次女は,急に親離れ現象を起しこれも毎日帰宅は遅い.

 我が家は,今時には珍しい恵まれた環境であったのかもしれないが,夕食時はほとんど毎日家族全員が揃っていた.

それが,突然,食卓から2人が消えてしまって夫婦2人向き合う事態になった.

それがなんともおさまりが悪い.

2人が向かい合って座ってみると,そこには紛れもなく50歳になる男と女がいるではないか.

いつもは,子供達の会話につられて賑やかであった会話もなくなり,一体何を喋るべきか.

2人の会話は途切れ勝ちになる.

2人が知り合った学生時代には,講義をサボって大学近くの喫茶店で時間を忘れ駄弁っていたことを思うと,やはり30年の月日がたち我々も多くの先輩たちと同じく人並みに老いてきている事を否応無しに自覚せざるをえない.

他人事だと思っていたが,2人だけの新しいライフスタイルのデザインをこれから真剣かつ早急に考えていかねばならないと思っている.

老後は,気がつけばホン近くにいつのまにか忍び寄っている.愕然!

1999/5/26

 

#事後談:半年たって,何のことはない.就職難のご時世に折角就職したのに,娘は失業保険のもらえる6ヶ月を待って,仕事が合わないといってさっさと退職,家で,受験生をしている.

代わって女子大学生になった次女は,これまた,目標が定まらず大学「おもんな〜い」の連発.

今の若者,身体の成長は早いけれど,精神年齢は昔と比べて10歳ぐらい幼いか.

かくして,我が家は,また元の木阿弥.

僕の白髪が増えただけ.

1999/12/26

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勉強について,親は子に何をするべきか?

僕には,娘が2人いる.長女は超氷河期の就職戦線にあっても自力で頑張り,めでたく希望する会社に就職できこの春からは社会人.

次女は,現在の入試制度にたつきはしたが,合格可能性が最も低かった後期の小論文で希望していた姉と同じ大学に入学し,この春からは大学生.

現代において,親として一応支えなければならない初等中等教育過程はこれで終わり,もう御役御免と思っている.後は自力で人生を切り拓いてもらうしかない.

子育てについては,大方の分野では僕は失格の親父だったが,一つだけは誇れるものがある.

それは,これまでほとんど無塾で通させたことである.

僕の勉強に対してのスタンスは,常に「自分でやる」である.勉強の目的は,勉強をする方法の獲得であると思っている.

勉強の方法さえ掴めば,どんな事柄,場合でも,然るべき必要な場面に出くわせばその対処方法を自らの手で見出せるだろう.

周りがほとんど塾通いの中の受験戦争,偏差値教育がはびこる時代にあって,親としてこの方針を貫くにはかなりな勇気と我慢が要る.

強制的に禁止した訳ではない.常日頃から勉強とは自分でするものと教え込んだ.

友達が次々塾に行きだすと,塾にはなにか魔法の方法があって成績が上がるのではと思いがちである.その友達の成績が上がろうものなら焦りはピークに達する.そんな時,頭から押さえつけてはダメである.行きたければ行かせれば良い.ただ,その時に塾に行ったからといって自動的に成績は上がるものではないことをしっかり教えた.どこに行っても勉強は自分でしなければだめなことを!

しばらく行って見てそのことが確認されれば,塾はすぐやめた.

この時期になると盛んに塾の宣伝が入る.「偏差値」を上げる効果だけを見るならば,出題範囲は決まっている,その道の専門家が判断すれば必要最小限の範囲を詰めこめばいいのだから簡単である.その点では,塾は有効であることは確かであろう.

しかし,勉強で本当に大事なのは,目先の偏差値ではなく,多くの選択肢の中から,何が必要かを見極められる力ではないだろうか?

その力は,自分自身で思考錯誤をして獲得すしかないのではなかろうか?

子供が自分自身でそれを見出すまで,手を出さないで見守る我慢が必要だと僕は思っている.

次女の入試戦線が終了した時,僕は,娘2人にこのことを話した.「教育は効率」では無いという僕の信念を理解してくれたと思っている.(ちょと,かな?)

99/03/27

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野村阪神と自・自連合は時代の流れ?

阪神の監督にヤクルト前監督の野村氏が就任した.

最初その話を聞いたとき,野球通でもなく野球をこよなく愛する方でもない僕は「へーそうかな」と特段の感想も持たなかった.しかし,決まってみて改めて考えてみるとこれは,最も自然の人事ではないかと思うようになった.かつては,今は政治をやっている某元投手の捨て台詞を持ち出すまでもなく,無能で定評のあった阪神タイガースの首脳陣をこの件では少しは見直した.

 野村がヤクルトの監督をやっていた時,対,長島,アンチ巨人で実績を上げてもどうもしっくりしたものを感じなかった.それは,おんぼろ球団の南海ホークスで実力,実績とも長島なんかよりは優れているのに地味でぱっとしない野村のキャラと神宮をフランチャイズとするヤクルト球団のカラーがマッチしていなかったからだったと思う.何かねじれている座りの悪さを感じていた.

それが,阪神の野村となれば,きわめて自然である.違和感がない.なぜ,阪神はもっと早くこれに気が付かなかったのだろうか.

人には持って生まれた個性がある.そして,個性にふさわしい居場所がある.長島が阪神の監督になったことを想像すれば如何に個性が大事かが分かるであろう.ヤクルト野村監督に感じていた僕の違和感は正にそれと同じであった.

野球界は,8年(だったか?)の回り道をして,ようやく落ちつくところへ落ちついた.

 と思っていたら,ここ年末になって政界もようやくねじれ現象是正に向かって動き出した.

あの小沢党首率いる自由党と自民党が来年から連立するという.

自民党分裂から,いつのまにか5年も経っていたらしいのだが,自民党保守本流の小沢と社会党などが組んで起こった宮沢内閣不信任決議からの日本の政治の枠組はねじれっぱなしであった.

自民,社民,さきがけの連合は何とも落ち着きの無いものであった.政治的理念はなにも無く,がき大将小沢はずしだけが目的の,レベルの低い園児の仲良し会のような野合であった.結局,首相の座と衆議院議長のポストの餌に引っかかって伝統ある社会党は堕落崩壊していった.

あの時の村山首相の姿,土井議長の姿は,正にヤクルト野村監督のすがたであった.

国民は,このような政治状況になんとも言えない苛立ちを感じつづけていた.

自・自連合は,決まったばかりでこれからも一波乱二波乱は有るかもしれないが,枠組としては,ねじれが取れすっきりした感じは有る.民主党にもう少し頑張ってもらい,社民も本来の立場を思い出せば,これからは,政策的には筋の通った論議が可能になるのではないだろうか.

時代の風潮と言うものは,不思議なものである.誰かが意図的に造ったわけではないのに明らかに有る.

少し「いちびりすぎた時代」の反省から,これからしばらくは,ねじれの解消,保守への回帰が強まるであろう.

野球界も政界も,ねじれ現象が取れてすっきりした判りやすいスキームで来年度は本格的な日本の社会の反転発展を期待する.

98/11/21

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東京研修旅行

 研修旅行の企画といえば,俄か自然愛好家を装って信州などの野山を目指すか,お仕着せの体験学習,あるいは,俄か平和主義者を装っての広島沖縄反戦平和学習が定番の昨今であるが,予定表だけ見たら今回の我が学年の研修旅行は,時計の針を3から40年も逆戻りをさせたようなアナクロニズムの東京お上り旅行にあいなった.

(京都→東京→お台場自由行動→日本青年館() →国会議事堂→東京タワー→羽田機体整備工場→横浜山下公園→横浜プリンスホテル() →鎌倉自由行動→横浜→京都)

 東京見学は,かって修学旅行の定番であったが,廃れ出したのは,日本が高度経済成長を遂げ一応の文化生活が地方にも浸透して定着した1980年代頃からであろうか.

 明治以降一貫して日本人の行動を支配していた,上向,中央指向の規範があらゆる分野で否定され,「モーレツ」から「ゆとり」がもてはやされた頃に一致する.

 狭い島国で,中央よりも地方,開発よりも自然,遊びは美徳,勤勉は悪の,繁栄呆けのお題目を唱えている内に,足元が蝕まれ,いつのまにか心臓部まで侵されカスカスの瀕死の状態に陥ってしまった今,21世紀の日本を担ってもらわねばならないこれからの諸君に,もう一度原点に戻って考えてもらえればと思い,この際敢えて東京旅行を企画した

 実は,沖縄に行こうと最初は企画したが費用的な面(我校は中学の研修旅行は,一応5万円以内という慣行がある)でどうしてもクリアできず,それではいったい何処へ,ということになった.

 ひと昔前と違い,このごろの子供たちは,大抵のところへは連れていってもらっているので,この狭い日本教育的効果の上がる研修場所となるとそう思いつかない.そこで,それじゃあいっそうのこと,首都見学をということになった次第である.

 考えてみれば,僕自身,過去に2年間東京に暮らしたこともあるにもかかわらず,この年になるまで,なんとなく関西人のプライドと気恥ずかしさがないまぜになったいわくいい難い,屈折したこだわりからか,東京タワーに上ったこともなかったし,鎌倉を見学したこともなかった.東京では文京区に住んでいたので,かろうじて一度だけ,家内と当時5歳くらいであった長女を連れて,自転車で二重橋に行ったことがある.姉の修学旅行の記念撮影に写っていたそのままの景色がそこにあったことを確認はしたが,なんとなくそこに居る自分を誰かに見られるのが嫌で早々に退散した.東京タワーにはついぞ行かなかった.

 ワシントンや,ロンドン,パリ,北京など外国の首都は海外旅行の人気スッポットであるのにこれは一体どうしたことか.ホワイトハウスや人民大会堂に行くより先に,やはり,自国の国会議事堂,霞ヶ関に行くべきではないか.

 世界に冠たる大東京を,大阪と比べて云々なんてけちくさいこだわりを捨てて若いときに素直に知るというのも大いに意義あることではないか.年を重ねて少し素直になった.

 そんなことで,今回の東京お上り研修企画に賛成した.こちらの思惑通りの成果をあげてくれたのだろうか?

 いや,いや,そんな面倒くさい意義付けなんては教師の専売特許,どうでも良い.研修旅行の最大の目的は,場所なんぞ関係なく,いつの時代も,教師と親の目を逃れた空間での級友との非日常的の「楽しい悪戯」の共有体験をすることに有るのだ,と思っているのかもしれない..

 最も,この目的については,立場上公式には認めがたく,僕の先制奇襲攻撃によって早々に敢え無くダウンと相成ったと理解しているのだが,この文を読んで,密かにほくそ笑んでいる不逞な輩がまだ少なからずいたのであろうか.

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日本の容疑者とアメリカ合衆国の容疑者

和歌山の毒入りカレー事件の捜査のやり方についてあるコメンテーターが言っていた一言が気になった.

日本の容疑者場合,犯罪の立証は取り調べによる容疑者の自白が9割に上るが,アメリカ合衆国では,9割が罪状否認のまま裁判にかけられるらしい.

日本人は往生際を問題にする.こと最後に至れば,どんな悪人であっても綺麗な身になってあの世に行きたいと思う心理があるからであろうか.これは,閻魔大王に象徴される仏教の教えの影響もあろう.

ベテランの取調官は時には脅し時には情に訴えて,犯人を自白するように落としていく.身に覚えのある犯罪者なら,ほとんどの場合これで一件落着,解決していくのが日本の場合である.

ところが,アメリカ合衆国の場合はどうもそうではないらしい.どんなに不利な状況証拠があろうと本人からすすんで犯罪行為を認め様とはしない.自分に不利な場合は徹底してしらをつきとおす.そのことに対して良心の呵責はさほど感じないみたいだ(クリントン大統領然り)

しかし,僕が気になったのは,このことではなくて,その犯罪者に対する裁判の表決の仕方である.

アメリカ合衆国では,犯罪者は真実を隠すのが常であるので(自白しない),裁判は物的証拠を伴わない状況証拠だけでもおこなわれ,十分に有罪に持ちこめるということである(理由は,陪審制度であることもあるが)

ところが,日本の場合はどうであろうか.

最初どれだけ頑固に否認していた犯人であったとしても,そのほとんどが自白に追い込まれているという事実が,却ってしたたかな犯人ほどに有利作用する場合があるような気がする.

状況証拠としては十二分に嫌疑が有ったとしても,本人がその気になって最後まで否認を貫けば,逆に,あそこまで否認をするくらいだからひょっとしてという心理が,アメリカ合衆国と違い裁く側に強く働く事になり,証拠不充分で無罪にする場合も有るように思う.

「疑わしきは罰せず」が冤罪を防ぐ常識なのだが,その例が,最近だんだん多くなってきている気がする.

冤罪防止の観点からは喜ぶべき事態なのかもしれないが,こういった事がつづくと社会の公正さに対する不信が大衆の中に芽生えてきて社会不安を増長する心配もあり,具体的な例を見ていると釈然としない面もあるのは事実である.

最近の,犯罪者の実態は,だんだんとアメリカ合衆国に近づいてきて,往生際を気にするような古風な犯罪者は減少してきている事も冷静に直視して取調べにかからなくてはならないだろう.

また,それに合わせて,捜査の手法,裁判のあり方も改良していかなければならない時期に来ているのではないだろうか?裁判の迅速化のためにも.

日本の伝統的な自白に頼る捜査手法,そしてそれを重視する裁判が,時代に合わなくなりつつある気がする.

狭山事件,ロス疑惑,甲山事件を見ても然り.

98/10/04(和歌山毒入りカレー事件強制捜査に接して)

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高校野球談

8月も20日になろうとしているのにまだ高校野球をやっている.おかげで阪神12連敗(ではないかこれは実力?)

最近の高校野球は面白く無い,マンネリに陥っている.

我が家ではほとんど見ないが,TVチャンネルを切り替える時,ちらりと見える画面は閑散とした甲子園球場が映っている.

 今日,北陸にある高校野球名門校がシャットアウト負けしたことをTVで伝えていたが,監督のインタビューには驚いた.

「今日は良い勉強をさせていただきました.明日からは,新しいチームを作ってまた甲子園に来たいと思っています!」

だって.

高校野球は一体誰が主役なんでしょうか.まるで監督が私物化しているようなこの発言おかしいと思います.

甲子園に出てくる学校はほとんど似たり寄ったり,監督の生きがいのためにあるクラブである.

生徒たちをだしに使って,お山の大将気取り.このようなクラブのあり方には僕はどうも好きにはなれない.

甲子園のベンチ入りを許されるのは生徒のみにするべきではないか.これは,高校生の大会である!!

そういえば,野球部だけが高校体育連盟に加入せず独自の高校野球連盟を作っている.

アマチュアを装ったセミプロまがいの団体では無いかと思うのは下司の勘ぐりか.

98/08/19

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夢の話

テレビで北朝鮮から命からがら亡命してきた元物理教師一家の話を放映していた.

地獄のような北朝鮮を命からがら逃れて,希望の国,韓国への亡命が成功したのであるが,その国は,予想通りの華やかな物質文化社会,しかし,今不況の真っ只中,突然闖入してきたよそ者にはこの不況下,就職もままならず,然るべき「居るべき場所」が中々認められない,根無し草の宙ぶらりん,そんな,状況にある家族に,最近見る夢が共通しているということである.

その内容は,夢であるので全てが論理的な展開にはなっていないが,結果的には,「いろいろな事情で,いつのまにか北朝鮮に舞い戻ってしまっている自分の姿.舞い戻った事を,夢の中の自分は決して歓迎はしていないのだけれど,しかし,帰ってきてしまっている自分に夢の中では戸惑いがあるが,ある面ではこの状況の受け入れを仕方なく認めようとあがいている自分.」ということである.

どうして,このような共通した夢を見るのであろうか.

悶々として,やがて夢からさめた時,それが夢であった事にほっとする事から察すると,自分の本心は現在の「南に居る」ことにあるのだが,しかし,心の深層では完全には満たされないものがあるからであろう.

捨ててきた故郷には,豊富な消費物質では決して代用できないものがあるからなのだろう.それは,故郷の景色であり,空気の匂いであり人の気配である.

これらの記憶が,新しい場所での時間の経過とともに新しい場所のものに徐々に置き換えられ廃れてしまうまで同じ夢を見続けることになる.

僕が,この話に興味を持ったのは,似た夢を見た経験があるからである.

僕は大学を出て,ある会社の研究所に就職して初めて生まれ故郷の奈良を離れ,10年少し,富山で生活した.その間,結婚をし,家族が出来たわけであるが,30半ばにして,故有って,会社を辞め故郷で母校の教師として再出発をした.

会社を辞めるにあたっては,上層部との考え方の違い,研究上の行き詰まり等々で心身とも疲れ,そこに「居ること」が僕にとってはもはや耐えがたい苦痛でしかない極限の状況であったので,望んでいた教職に転進できたこと,そして帰郷は今は亡き年老いた母の願いでもあったのだが,それはラッキーというほかなかった.

しかし,帰ってきてから,何回見たかは忘れたが「昔の職場に舞い戻っている自分」の夢を繰り返し見るのである.

この経験が,北朝鮮から亡命してきた家族が見る夢に内容が酷似しているのに興味を持ったわけである.

美しい花を,美しいと感じる,あるいは美しい曲を美しいと感じる,こういった共通した感情は,共通した刺激に対し,脳が共通した対応をした結果と考えられるが,複雑に絡み合った経験によって刻み込まれた記憶の深部にかかわる心理作用に関係する「夢」現象にも共通したものが見られるのには驚きだ.

心理分析に「夢」が利用されるが,共通した「夢」には明らかに共通した心理状態が見られるようである.

そう言えば,若い頃良く見た「空を飛ぶ夢」(空を飛んでいるのだが時々肝心なところで自由に飛べなくなって墜落しそうになる)は,何時からか見なくなってしまって久しい.

これからは,どんな夢を見るのであろうか,最近は,何故か記憶に残るようなインパクトのある「夢」に出くわさない.こういった状態はどんな心理状態と解釈すればいいのだろうか.

満たされた状態なのか?諦めた状態なのか?

老いに向かってすすむ,これから見る「夢」は果たしてどのような夢になるのであろうか.

「極楽浄土」なのか灼熱の炎に焼かれる「地獄絵図」なのか.

ああ.今日は母の命日であった.もう10年にもなる.

1998718日土曜日)

 

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広辞苑のある言葉の定義の書き換え

あるMLで報道機関にお勤めの方から次のような投稿がありました.

「トリアージについての議論がありますが,大変気になる用語が出てきます.「搬送」です.

災害による負傷者を,どう選別して有効に医療を行うか災害時のトリアージは,限られた医療関係者と,設備,医薬品のもとでは,いたしかたないものだと考えます.

ただ,これまでの議論の中で,救急も医療も自治体もほとんどが「搬送」という言葉を使っていますね.

広辞苑によれば,「搬送」とは「荷物などを運び送ること」となっていて,少なくとも人間を運ぶことは搬送ではないのです.

消防や警察,自治体の計画,規定,指針,発表文などには平気で「搬送」という用語が使われていますが,人は物ではないという意識を是非お持ちいただきたい.

私たち放送の世界ではけが人も遺体も含めて「搬送」という言葉を使わず「病院へ運ばれました」「安置所に運ばれました」としていますが,時々現場中継などで無神経に「けが人は病院に搬送されました」などと放送すると,必ず視聴者から抗議の電話がかかってきます.

本来のトリアージの議論からやや離れてしまいましたが

放送屋の言葉へのこだわりもご理解いただければと思います.」

 

僕自身は,搬送と言う言葉にそれほどの差別性を感じていませんでした.むしろ怪我などをして自分で動けなくなった人を担架にでも載せて運ぶのにはぴったりの言葉ではないのかなとも思います.

ともあれ,中段にある広辞苑によればのくだりが気になったので,「ほんまかいな」と言う気持ちでてもとにあった広辞苑を調べたら,「搬送」には「はこびおくること」しか書いてありません.あれ?と思い角川の国語辞典もひきましたが,これにも全く同じ事が書いてあり,こちらには文語的との注がついています.

そこで念のためにと,もう一つ別の小学館の国語辞書を見てみると驚いたことに,投稿氏が広辞苑に書いてあったと言う同じ文言の「荷物などを運び送ること」とありました.

投稿氏が出典を広辞苑を小学館と間違えたのか,また,どうして小学館では「運ぶもの」を「荷物」と限定するようになっているのか?,ここまで来ると,持ち前の探求心がむらむらと起こり,もう少し調べてみようと思いました.

小学館の国語辞書は娘の持ちもので,1987年発行第6版となっていて,僕の持ち物の先の広辞苑(第2版)は昭和44(1969),角川の国語辞典は,昭和36年改訂昭和44年発行版とどちらも古いことに気がつきました.

そこで,広辞苑の第4版(1995年)のCDROM版があることを思い出し,検索してみたところなんとここには投書氏の指摘したように「荷物などを運び送ること」と書いてあるではないですか.

もう少し,いろいろな辞書を調べてみればいいのだけれど,これが専門でもなくそれほどの情熱もないので,少ない例での推論でご容赦いただきたいのですが,どうもこの「搬送」と言う言葉の意味は,1970年代の10年程間の間に「運ぶもの」を「荷物」と限定するようになったようです.広辞苑が先なのか,小学館が先なのかそれは知りませんが,20万語もあるうちの1語の言葉の意味が一字一句違わない同じ文言に変わっていることにはとても偶然の一致とは思われません.

そこで,さらに「搬」にこだわって,第2版と第4版の広辞苑で比較検討してみたところ,

「搬」運ぶこと,ほかに移すこと.

「搬入」運び入れること,持ちこむこと.

「搬出」運び出すこと,持ち出すこと.

と,両方の版で同じ説明になっています.この説明にある限りでは,「搬」には運ぶものを荷物と限定しているとは考えられません.

確かに,「搬入」や「搬出」が使われる場合は,運ばれるものが荷物である場合がほとんどであるので,「怪我人が運び出された」と言うところを「怪我人が搬出された」といえばなんとなく奇妙感じますが,しかしこれは聞き手の慣れの問題ではないでしょうか.

「搬入」,「搬出」,「搬送」とセットになったような言葉であるのに,ひとり「搬送」だけにある時点からどうしてわざわざ「荷物」と言う制限が付け加えられたのでしょうか?

「怪我人が救急車で搬送されました.」と言う表現がごく普通に使われ,世間では奇異に感ぜられないで普通に使われていると言う事態がけしからんから,間違った使われ方をする「搬送」に注意を喚起し,正しい用法に限定させることを権威ある辞書の使命(言葉の番人)と考えてわざわざ新たに付け加えるたのでしょうか?(僕は,投稿氏にあるように「けが人は病院に搬送されました」などと放送すると,必ず視聴者から抗議の電話が掛かってくるということが理解できません.必ずかかってくるほど間違った表現ならほとんど使われないのではないでしょうか.)

その効果はてき面,前出の投稿氏はまさに,「広辞苑によれば,「搬送」とは「荷物などを運び送ること」となっていて,少なくとも人間を運ぶことは搬送ではないのです.」と言う表現で「怪我人が救急車で搬送されました.」との言いかたが間違っていると言う主張の正当性の証明に利用しています.

百歩譲って,もし語源的に「搬」に荷物に限定した運ぶと言う意味があるのだとして,上のような例で「搬送」が用いられても人々の耳に奇妙に感ぜられないわけは,,最初に述べたように,自力歩行できない怪我人などを偽「物」化してよりリアルにその状況をあらわしていると思うからなのではないでしょうか.そこに「差別性」を人々は感じているとは思われません.

状況を適切に表しているとして一般に広く通用している表現を,改めさせなければならないほどの積極的な理由がこの例で果たして存在するのでしょうか.

それを,「物と同じに扱ったからけしからん」という言いがかりにも似た1部の人たちの意見を鵜呑みにして,それまであった言葉の定義を,矛盾だらけで,場当たり的,事勿れ的に変えてしまって良いものでしょうか.これでは,日本語の豊かな言葉の表現を狭め,妨げてしまう過剰な言葉狩りのように僕は思います.

 

岩波の関係者の方,第2版から第4版に至る間の,この「搬送」の定義の変更の経緯に関してどれほどの社内での検討をされたのでしょうか,教えてくださいませんか?

1998424

その後調べたところ,小学館の日本国語大辞典(昭和5071日第1)ですでに搬送は「荷物などを運びおくること」と書いてあるが,広辞苑は第三版昭和58(1983)12月6日発行においても第二版同様,「運び送ること」しか書いていないことが判明した.

このことから,「荷物など」と制限が加わった表記は小学館が先行しており,岩波が追随していたことになる.

 

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相対主義か絶対主義か?

人を分類する時,相対的立場に立つか絶対的な立場に立つかで,その人の世界観生き方に類似性が見られる.

極めて大まかな分析をすると,人は青年期にはしばしば絶対的な立場を好み,歳を取り経験を重ねるを度に相対的な立場をとるようになる.

絶対的な立場の根拠は,絶対的な真理の存在である.絶対的な真理の鏡に照らせば,外界の歪みが映し出されてその歪みを是正する行動が善として支持される.

したがって,行動的な人ほど絶対的な真理を信じる傾向が強く,前衛的な立場に立ち,現状打破破壊に動く.

真理の前には何者も立ちはだかるものはないのだから,そのエネルギーには凄じいものがあり,他人はおろか己の命をも飲み込むほどの力がある.命を賭しての行動が現れる.違ったの立場を考える余地は全くなく,それはせん滅する対象でしかない.

この行動は一定の変革を遂げた後も自己矛盾の増大を続け,結局,役割を終え自滅するまで続く.滅びの美学である.

一方,相対的な立場に立つ人は,優柔不断で一見ずるい.

自らの立場を鮮明にはしない,日和見的な行動をとる.否,少し擁護するならば,鮮明にしないのではなくできないのである.

真理,そのものも相対的なのだから,状況に応じて真理は代わりうる.一つの考えが浮かべば,すぐにアンチのテーゼが浮かぶ.それら同士は,極めて相対的なのである.置かれている立場,時代によって当然代わりうる.ある意味では見えすぎてしまうのである.それで,考えても考えても足は前には出ない,臆病になる.結論的には,現状肯定の保守になってしまう.

もっとも,相対的か絶対的かは固定されているわけではない.比較的,相対主義かあるいは絶対主義かという分類は可能かもしれないが,同一人物が,加齢とともに変化する場合もあるし,問題によっては突然代わりうる場合もある.

絶対主義的な洗礼を受け,その限界を経験して,相対主義に移行した場合はもはや極端な絶対主義には陥らないが,

絶対主義者の中には,ひとつの「絶対真理」に行き詰まると突如対極の「絶対真理」に飛び移る人がいる.(例えば,極左から極右,科学主義からオカルト信仰)

人間の心理として,生きていく事の不可解さから逃れたい為に,しっかりとした拠り所(絶対真理)にすがりたいと思う気持ちは理解できなくもない.精神的に弱い人が強いのか,強い人が強いのか解らないが,結果として安心を得る為の,それに対する執着心にはひと様々である

それは錯覚だと僕は思うが,不安定な心理状態に絶対主義的考えは,一種の安らぎを与えるからである.

 

いつまでもそんな幻想を追い求める事は出来ない事に気がついてしまった僕自身は,相対的な価値観の波間に死ぬまで不安定に漂うしかない自分の存在を「諦観」する事が自分の「安心」だと思うのだが,この辺の事を人に解ってもらう事は難しい. 

1998211日)

 

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民族問題

合理的必然性をもってことは推移するならば,,自然科学的方法論でもって合理的解釈することが可能なのだが,

こと,民族問題や宗教問題はこの方法論での単純な適用がほとんど出来ない.

NHKの「ルワンダ虐殺と扇動ラジオ放送」という特集番組を見ていよいよその感を強くした.「千の丘ラジオ放送」という政策的に作られたラジオ放送による扇動放送で,ツチ族とフツ族の間で悲惨な争いに向かい「80万人」を虐殺したという事実である.

少数側の民族が多数派を長く支配していたという歴史的過程はあるにしても,両民族間には混血もかなり進んでいた状態であったものが,大統領の暗殺をきっかけに,この放送局のアジ放送で一挙に民族間の憎しみが吹き出し,今まで仲良く暮らしていた家族,近隣のもの同士が突然なたを振りかざし幼い子供や女までも虐殺してしまった,この行為はどう解釈すればいいのだろうか.

もっとも,こういったことは,ルワンダだけでなく強いイデオロギーで縛られていたソ連を中心とする東側共産圏の崩壊とともに各地で同じようなことが起こっている.

とりわけチトー時代には民族の融和を高らかに謳ったユーゴの悲惨な民族,宗教戦争は記憶に新しい.

日本でも,かって関東大震災後,一つの風聞をきっかけに起こった朝鮮人虐殺なども全く同じ現象と考えられる.

歴史的には,その世界史に及ぼした影響からも最大無比でまだパレスチナで事態は進行中のユダヤ問題もある.

普通の人に,何かの拍子に,個人のもつ理性,知性,教養,それら全ての諸々を凌駕して突然現れるこの忌まわしい残虐性は,魔性は,民族意識という得体の知れない代物に根ざしている.

遺伝子に刷込まれた様なこの意識は,後天的な教育によって制御されうる人間の自己管理範囲を超えた.次元の違う意識外で脈々と繋がっているようである.まるで地下のマグマが突然地表に吹き出るように,この意識も突然我々の意識の表に飛び出してくる.

この忌まわしい化け物を我々の意識の奥に閉じ込めておくには,かってのスターリンのような,人間肉体もろとも外から押え込むような強力権力が必要なのであろうか.

果たして,理性は,どこまでこれに対抗しうるのであろうか.理性を補完する教養(知識,教育)はどこまで有効なのであろうか?

歴史的事実からは,どうも悲観的にならざるを得ない.

教育者の端くれとしては,子供たちにあくまで民族融和の理想を教えたい気がするが,このように,今までの人間のしてきた歴史を見る時,それが絵空事の理想論でしかないという思いも一方で強く感じる.

かといって,空間的にお互いが住み分けること,即ち民族分離(アパルトヘイト)に解決策を見出せるのかといえば,これは,歴史の逆戻り,時代錯誤もはなはだしい.それをすれば,地球上には豊かな土地とそうでないところがある限り,もっと大規模な民族間の生存をかけた争いが今以上の激しさで起こるのは明らかである.人類が今まで辿ってきた愚かな過去に逆戻りし,昔のように,残虐性が民族の生き残りの為,今以上に肯定されてしまう.

そこで,はたと,行き詰まる.

そして,この手の難題には「僕の生きているうちには,とても解決しそうにないわい」と達観を装い問題を後世に先送りする形で一応のけりを付け,いつも,終わってしまう.(1998129日)

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色彩感覚

 

この冬休みには,2年ぶりに絵筆を握った.パソコンをはじめてこのかたこの化け物に時間を吸い取られて絵を描く時間がなかった為である.

油絵をはじめて描いたのは高校生の頃ではある.兄が高校の美術クラブに入り家で油絵を描いているのを見てやりたくなったのが動機である.何作かの習作は描いたがキャンバスに残したのは3つしかない.学生の身分では油絵は道具が高くてそう多くは描けなかったのもあるが,サラリーマンになっては精神的ゆとりもなく,結局それ以後はさっぱりやっていなかった.

しかし,絵の道具だけはたびたびの引越しにもかかわらずちゃんと保管していた.

今の職業である教職に就いてしばらくして,絵を描いてみる気になった.再開して初めて描いた6号の東大寺の絵が思いのほか気に入った,爾来10年ほどになる.

全くの気まぐれ休み画家なので,その数はこんどでまだ通算32作目である.

習うのは苦手な性分なので,絵も独学である.何冊かの「HOW TO」物からの知識と,後は美術集を参考に自分なりに技術を習得している.

 

孤立しているので,画風と言えばこれは全く自分のものであることは間違いない.

新しい絵を描く最初は,今度こそは大向こうを唸らせるような独創的,奇抜な配色を!と意気込むのではあるが,どれほど奇抜な色をキャンバスにおいても,描き進んでくればやはり見ていて自分が落ち着くものになっていく.不思議なものである.

自分の感性に逆らって無理に奇抜な色を置いたら,気になって気になって仕方なく,結局,また落ち着くところへいってしまう.

絵の完成最終段階では,いつもこの葛藤を繰り返すのだが,だんだん変化の余地がなくなり,自分の置いた配色にがんじがらめになってついに筆を置くことになってしまう.

その色が,自分のものということになるのだろう.

それを見る限り,自分はなんと「常識的」なのかと落胆してしまう.

趣味の画家でよかったと思う.プロならとっくに行き詰まりビルから飛び降りていたことだろう.

(左の絵はこの冬の作品,絵の具の乾きを待つ為によく2作ずつ描くことにしている.それぞれ30号と10号)

画集はここをクリック

199816日記)

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科学の進歩と人間の進歩

最近興味があって何冊かの科学史,科学哲学に関する本を読んだ.

この分野における人類が獲得してきた成果に,誰もが疑義を挟めないほどの多大な発展があったことは認めざるを得ないであろう.

科学や技術の分野には古典というものがほとんど存在出来ない.

新しい知見は古いものを凌駕し,新たな地平を開拓する.その地点から過去を振り返っても,発展の歴史を知る以外にはあまり為になるものは見出せない.

しかし,それに対して人間の精神分野における進歩には,果たして,この長い時間が何の為に有ったのかを疑わざるを得ない.

数千年前に記された古典が,いまなお人々を納得させるだけの内容を保持している.

場合によっては,何らその当時と変わっていないことに気付く.

科学や技術の分野ではとても有り得ない.

釈迦やソクラテス,プラトン,アリストテレス,そしてキリストの時代の科学や技術が現代では何ら通用しないが,精神文化の分野では今なおそのレベルからあまり進歩はしていない.

人間の歴史って一体何なんだろうか?

そう言えば,個人の一生においても同じようなことが言えるような気がする.

三つ子の魂,百までか!(12/9/97 9:10:48 PM記)

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ゴルフが嫌いの談

ゴルフというスポーツが有るが,僕はどうも好きになれない.

このスポーツがおおよそスポーツらしからぬ体型の人たちに特に好まれているからという訳ではない.

この感情が生まれたのは,40年以上(昭和30年初頭)も前の幼い時の出来事からかもしれない.

 

ゴルフといったシロモノを初めて知ったのは,伯父さんの話が最初だろうか.

ちょっとした事業をやっていて,たいそう資産家であった伯父はその頃田舎の奈良に初めてできたゴルフ場の会員であった.

大きな屋敷に何かといっては,親戚縁者を集めて宴を開くのが大好きであった.

ひとしきりお酒が回った後では,あたらしものやの伯父さんが大枚はたいて買ったであろう当時では,最先端の電気製品(蓄音機や,テープレコーダー,テレビ等々)のお披露目と同時に,その頃やり始めたのであろうか別室の珍しい調度品で飾った洋風の応接間に客を招きいれては,そのゴルフとか言う新しいスポーツの面白さを自慢げに話していた.

当時,ゴルフをやれるということは大変恵まれたごく一握りのものでしかないことは子供心にも伯父の自慢げな話し振りと,それを聞いている客のほとんどがその話の内容を全く共有できない様子から理解できた.

具体的にゴルフの内容を理解したのは,後のほうでは有るが,そのスポーツにはキャディーというアルバイトがあって女性が重いクラブを持って回る仕事だと聞かされた.

僕には,そのイメージがほとんどあの綿花畑で働かされた黒人奴隷の姿に重なった.

(余談では有るが,後年故郷の私学の教師になって初めて知って驚いたが,この奈良では名門のこのゴルフクラブには,クラブキャディー専用の私学の女子定時制が存在している.これは,ここの有力な会員であった奈良の中部発祥の巨大新興宗教の教祖様が,中卒の若いキャディー要員を主に九州や四国から集める為にわざわざ作った女子高校であるという.)

 

このゴルフ場のコース付近には戦前に磨き砂用の砂を取った後といわれていた,採掘跡の深い坑道が残っていた.そこにはコウモリが住み着いていたので,それを取りにその洞穴に何度かいった.

洞穴は,迷路になっていて全く光が届かない漆黒の世界で,恐ろしくて,結局僕はコウモリの住む奥までは入らなかった.

この洞穴の入り口から山道を少しあがると,芝生の緑が映えるゴルフコースが突然目の前が広がった.

その広い芝生には,ほとんど人影は見当たらなかった.

昭和30年の初めの頃の日本はまだまだ貧しく,雑木林を抜けて突然広がった日常光景と異質なこの存在には,僕は許し難い感情が込み上げたのを覚えている.

コース付近をうろついていて,ゴルファーであったのか係の人であったのかは定かではないがこびっとく怒られたのは言うまでもない.

時代は過ぎて,あの当時よりはずっと庶民のスポーツとなったのだろうが,どうも僕は好きにはなれない.

会社にいた頃は,付き合い上必要かなと思ったりはしたが,スポーツ以外の目的利用(接待や派閥の確認)が窺えるこのスポーツの胡散臭ささが嫌になり止めてしまった.

最近は,ゴルフに対する昔から持っていた悪印象にあいまって,環境破壊の点でもその憎悪は激しくなった.

我が家の小さな庭に芝が植えてある.この小さな庭の芝を維持するだけで大変な労力がいる.

少しでも手を抜くと芝生はあっという間に血止め草やクローバー等々の雑草で被われてしまう.

暇さえあれば,それらの雑草を引きぬくのだが,これがほとんどいたちごっこである.

あの広いゴルフ場のグリーンはどうして維持されているのであろうか?

我が家のように手で抜いているとは到底考えられない.当然,大量の除草剤が散布されているはずである.

一体どれほどの除草剤がこの狭い国土に撒かれているのであろうか?考えただけでも身の毛がよだつ.

こういった考えも有って,僕はますますゴルフが嫌いになった.

1997105日日曜日記)

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庭のやまもみじのこと

我が家の小さな庭に1本のやまもみじが植わっている.幹の周りは1メートルはあろうか,推定樹齢約40年.

この木には思い出がある.小学生の頃,格好の遊び場であった秋篠寺の境内にこぼれ種で自生していた小さい木を引っこ抜いて今は建て替えてないが,実家の北の家の際に植えたものである.北側の条件の悪いところであったがどんどん大きくなっていった.

植えてから5〜6年くらいした頃であろうか,家の改装に伴い邪魔になったので近くにあった畑に植え替えた.

元々は稲作ようの田んぼであったところのなで土は肥沃であり,もみじは見る見るよく育っていった.

毎年,春になると勢い良く新芽が吹き出て,夏ともなれば鬱蒼と茂っり堂々たる風格を見せていた.

10年少しの間,畑では,ほとんど手入れもされず伸び放題で無造作に捨て置かれていた.

この畑は,定年退職をしたおやじが健康維持の為に長らく家庭菜園をして管理していたが,そのおやじも亡くなってからは荒れ放題になっていた.

しかし,このもみじは大きく伸びた麒麟草に埋もれても毎年変わらず青々とした葉を茂らせていた.

 

遺産分けの為,この土地を売却することになった.

僕は,それを元手に新しい家を現在のところに建てた訳だが,売却に際してこの思い出深いもみじを新しい家の小さな庭の玄関横に移植した.

ほったらかしにしていたのに,案外枝振りも良く爾来我が家の庭のシンボルになった.

それから毎年春先には,それまでどおり勢い良く吹き出る青葉には生命の強さを感じた.

秋の紅葉も見事であった.葉っぱを落とした冬でさえ,素っ裸になった枝振りが一種の風格を我が家の小さな庭に与えた.

 

ところが,昨年の秋の紅葉は冴えなかった.昨夏の異常気象のせいかとその時は思っていた.

今年の春の芽吹きは同じようにあったが,それからの様子は例年と違った.

いつもは嫌というほど茂るので,梅雨の頃には伸びた新しい枝をたくさん切り落とさねばならないが,今年はあまり茂らないどこ

ろか,先端部のほうの葉は縮れたように萎縮したり,白い黴が生えたようなものも見られるようになった.

最初は,うどん粉病を疑い薬剤を散布したが効果はない.根締めに植えた水仙や紫陽花が悪いのかと思いそれらを抜きたっぷりの肥料を施しもした.しかし一向に事態は好転しなかった.

ある時,幹に穴が空いているのに気がついた.鉄砲虫のことは本で読んでいたのだが,この穴がとんでもなく奥深いものであるとは知らなかった.

隣りの家にきた植木屋さんに相談したところ,穴の中にボロ切れを入れそれにスミチオンの原液を染み込ませ蓋をしたら良いとのことであった.

さすがに専門家の見立ては正しかった.夏の終わりにその処置をしたところ,2週間ほどで新しい芽が出てくるようになり,元気な葉がついた.

 

何とか危機は脱したようである.

数奇な運命で今までに5回ほど植え替えられたが,世話という世話もされないのに,別段何の病気もなく元気に育っていたもみじであったが,木にもやはり寄る歳波があるのだろうか.

植物にも病気があり,まるで動物と同じく治療によって回復する様を初めてつぶさに経験してみたが生命はみな同じなんだなと改めて再認識した次第.

僕の人生に重なるこのもみじを,これからはもう少し注意しいたわってともに長生きしていきたいものである.

 (1997925日木曜日記)

今年はすっかり元気になって,写真のように今まで通り元気に鬱蒼と茂っています.

植物も出来るだけ自然に育てようと,今年は剪定もせず伸びるがままに自由にしています.

1998630日)

 

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;ジョギングのすすめ

前にも書いたが,僕は40歳からほぼ毎日ジョギングをしている.走る距離はそんなに多くはない,2Kmほどである.

もう丸9年を超えたので,走った距離も総計6500kmくらいになった.継続とは凄いことである,計算上は奈良からインド,あるいはオーストラリアまでの距離になる.

ジョギングは僕の性に合っていた.何分人と約束するのが苦手である.大方のスポーツは2人以上でするので相手のことを考えねばならない.

たとえばテニスをしようと思えば対戦相手を探し,プレイする場所,時をあらかじめ予約しなければならない.

そうすれば,ずっとその事を気にかけていなければならない性分なのでそれを考えただけでしんどくなる.

ジョギングは,そんな煩わしさはない.自分一人の都合でことが済む.それが気に入って続いている.

走っていて,いろいろ考えさせられることが多い.

毎日走っていても,日によってさまざまである.体が軽く感じられることもあれば,重たい時もある.

不思議なことに,身体が不調になる直前は案外軽く走れる.

また,調子が良いからと言って最初から飛ばすと,後半バテて最終的にはタイムは悪くなる.

Myペースとは良く言ったものである.本当に良いタイムが出る時は,全体のペース配分を考えて余裕を持って走った時である.

10分そこそこのジョギングであるが,限界近くの走りになるとほとんどタイムは変わらない.自己ベストの更新は1秒たりとも苦しい壁になる.

ジョギングのおかげで歳よりは若々しいと自負しているが,だんだんと自己ベストのタイムが最近低下してきた.

もはや,更新という訳には行かなくなってきた.これからは,如何に現状維持を長く続けられるかが目標になる.

それでも,走り始めた40の頃よりは断然タイムは良い.

継続することとは素晴らしいことである.

このことに関しては,自分で自分を誉めてあげたい気がする.僕だからできたことだと!!

1997923日火曜日)

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ウトウト(No2)に続く

 


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