敦煌紀行

娘が2人、一人は大学2年生、仏像に興味がある日本史志望の文学部生、もう一人は今年高校1年生。 家族構成からして、全員がそろって行ける機会はそうはない。 我が家では今年か来年しかその機会がないであろうと思われた。
そうした時に、格安ツアーの宣伝が目に入った。 敦煌、北京5日間の旅、12万円弱。 日本航空を使い、敦煌は沙州大酒店、北京は長城飯店泊りと願ってもない条件であった。

破格の安さに少し戸惑ったが、JTBだしそんなにひどくはないだろうと申し込んだ。 初めての海外家族旅行にしては、敦煌という場所はあまりにも標準から外れていると周りから言われた。 しかし、僕も妻も上の娘も敦煌に強く惹かれた。ただ、下の娘は余り乗り気では無かった。

関空に集合したとき、募集30人に対して意外にもたったの13人(そのうち我が家が4人)。申し込みは多かったのだがキャンセルが相次いだという。 やはり、敦煌は遠かったのか。しかしそれだけに残った13名は個性的であった。

940分発JAL785便にて北京へ、1520分発中国西北航空2120便にて敦煌に向かった。 100人乗りイギリス製の4発小型ジェット機であったが、機内の様子から見るとかなり使い込んだ機材であると思われた。
途中、蘭州により5時間の搭乗で予定通り2020分にゴビ砂漠に作った敦煌空港に到着した。日本時間では夜の920分になるのだが、実際の時差では3時間ほどになり丁度日没時でまだ明るかった。

沙州大酒店にチェックインして、サービスの晩飯(中国旅行社の添乗員が交渉してくれた)をいただき、部屋に帰ってゆっくり風呂に入ろうと思ったが湯が出てこなかった。 湯が出るのは1030分までとのことであった。

しかし、敦煌の西の外れにできたばかりのこのホテルは辺境の地にしては思っていたより数段上の豪華なホテルであった。

次の朝、莫高窟に行った。オアシスを出たところを右折すると道はゴビの中をまっすぐ続いていた。 ゴビの中には、刺のあるラクダ草の緑が点在していた。所々に、相当数の土盛りが見えたがそれらは土葬のお墓ということだった。
今年の夏は異常気象で雨が多く、7月にこの地方は洪水に見舞われたそうだ。砂漠で洪水とは想像できないが、砂漠のなかの涸れ川のあとがそれを物語っていた。
何キロか定かではないが、相当まっすぐゴビの中を続いた道が三危山を間近にして緩やかに右にカーブすると右手前方に鳴砂山に埋もれるように莫高窟が見えた。
駐車場から莫高窟までは直ぐであった。有名な観光地だが、さすがに河西回廊のはてのこの地にあっては明の13陵の様に押し合い圧し合いというほどではなかった。 それでも観光客の三分の二は日本人と思われた。欧米人のツアーは1組しか出くわさなかった。

入り口で手荷物を預け懐中電灯を持って(気が付かなかったが、仏像お宅の娘はしっかり強力ライトをトランクに入れてあった。)日本語ガイドのあとについて決められた窟を拝観した。

仏像にあまり知識の無い僕にとっては、一つ一つの仏像にはあまり興味はなかった。

秋篠で生まれ、技芸天をはじめ多くの優れた仏像を見る機会が多かったせいか、知らず知らずに「目」学習していたらしく、僕のその程度の低い眼識からしても、ほとんどの仏像は、作られた時代がかなり古く、作り方が違うので比較するのはどうかとは思うが、技術的には奈良の仏たちより劣っているように思えた。

しかし、洞窟の暗闇の中に所狭しと描かれている千仏像には圧倒されるものが在る。
一体いくつの窟を回ったのか分からない。これは後で気が付いたのだが回った窟の番号を記録しておくべきであった。

開放している窟は、保存のため日によって開放が決められている幾つかの窟をガイドが次から次へと勝手に案内していくのについていくしかない。

拝観も最後の段になって、お金を払えば有名な窟が見られることをガイドから知った。

60元の特別拝観料を払って45窟に入ったが、さすがに、ここの菩薩像は良かった。特に向かって右に在る菩薩を正面下から見上げると流し目で見られているようでとっても色っぽい。


盛唐の時代の作だが、奈良の仏さんと雰囲気が非常に似ている。門外漢の僕にも、この時代のシルクロードと奈良のつながりの証明として、今更ながらこの国との交わりの深さに感激した。

午後は、180元払えば陽関まで行ってくれるという。しかし、片道80キロ体力的に現実は厳しかったので断念した。 当初の予定通り少し郊外の敦煌ロケのセットまで行った。 ゴビの中の道を走ったが左手に鳴砂山が黄色く異様に輝いていた。 曇空であったが途中、砂漠の蜃気楼が観察された。

帰りに、夜光杯の工場と絨毯工場を見学した。目的は附属している土産物屋に連れて行かれたのだ。 これから、常にそうなのだが、休憩と称してさりげなくこの手の土産物屋に連れて行かれた。
ここでは、必ず流暢に日本語が喋れる店員がいて、交渉によって大幅な値引きがされ、日本円が通用するのが共通であった。 多分、客のほとんどは日本人であろう。値段は全て割高だった。(公営の友諠商店と比べると2倍以上の値段)
こういった商法は、日本の旅行社の入れ智恵なのだろうか。国内のパック旅行のシステムとそっくりである。 ここでのバックマージンを込みで、旅行代金を安く押さえているのだろう。

 

夜の鳴砂山、月牙泉の観光は印象的であった。 鳴砂山は東西約40キロ、南北20キロの大きな砂丘である。周りの砂漠がゴビと呼ばれる砂礫に対し、ここの砂丘は、本当に奇麗な小さな粒でできたさらさらの砂の山である。
色が黄色く輝いている。

この麓に決して枯れることのない湖、三日月型の月牙泉が在る。かってこのほとりに建っていた寺院は文化大革命の時打壊しにあったそうだが、今は立派に再建されていた。


入り口から、月牙泉まで片道1キロくらい、30元払えば往復ラクダに乗せてくれる。


月牙泉のあたりから約100m鳴砂山に上がると辺りが一望できる。 ここから、敦煌のオアシスを眺めると、まるで海に浮かんだ小島のように見えた。 オアシスは砂漠に浮かんだ小島だと言われるのが実感できた。
地形的には、周りより低く、やや窪んだ格好になっており、砂漠に降った雨水が地下水となって湧き出てくるのだろう。

残念ながら、月夜では無かったが、ラクダの背に揺られて居ると、地球は広いなあとつくづく感じた次第である。

慌ただしい敦煌滞在、自由時間はほとんどとれず1時間ほどホテルの周辺を散策できたに過ぎない。

ホテルの前の辻では露天商が並び、特産のブドウが売られていた。5元で大きな房が3つほど買えたが、とても食べきれる量ではなかった。味はさっぱりしていた。

人々は純朴でとても親しみが持てた。北京などは急速に拝金主義がはびこり嫌な印象を持つことも多いがこの地ではまだまだ昔の良さが残っているようだった。 もう少し、町中を散策したかったが叶わなかったのが心残りである。

 

次の朝、敦煌から北京に戻った。 来たときは、夜で余りはっきり見えなかったが、飛行機の上から敦煌のオアシスを眺めると本当に海に浮かぶ小島のようであった。 所々、今年の異常気象の洪水の爪痕が砂漠の中にくっきりと残っていた。

北京に着くと雨であった。 今年の北京も例年に無く雨が多いらしい。 旅行の前、インターネットで北京の天気を見ていたが8月はほとんど雨であった。 僕は、今度で3度目の北京だが子供たちは初めての訪問だ。

 

 

天壇公園、天安門広場を見て、例のごとく土産物店附属の休憩所で休んだ後、夕食は王府井の北京ダッグの店に行った。 北京に着いた安心感と、料理の味に食は進みお腹いっぱい食べホテルの長城飯店に9時ごろ着いた。 さすがに、首都の5つ星のホテルだけあって設備は抜群であったが、不幸は次の日に襲ってきた。

明け方から、お腹がごろごろ鳴って全員下痢、疲れた身体には昨夜の北京ダッグの油がきつかったらしい。 特に、上の娘は完全にダウン。この日の万里の長城見学をキャンセルして僕が付き添い、ホテルで養生することになった。
昼から、暇なので僕は王府井までタクシーを飛ばした。単独行動は初めてだが、これで北京は3度目なので地の利は判っていた。 去年来た折、買い損ねた中国民族音楽のCDを求めて本屋さんに行った。

昨年より2割ほど円安のため高くなったが、それでも160元安い買い物だ。

日本語のコーナーで本を見ていると、日本の学生と思しき人物がいた。声をかけると琉球大学の学生という。一人で南の方から列車で旅をしてきたらしい。 一泊40元の安宿に泊り、全く現地化した風情で旅をしている彼の姿は、若者の特権で全く羨ましい限りだ。 この歳ではもはやとても真似ができない。

この青年には、夜にも10キロほど離れた我々が泊っているホテルの近くにあるショッピングセンターでも偶然に出くわした。町中を歩いてたどり着いたという。 本当に若いということは素晴らしい。

偶然といえば、昨日も例の北京ダッグの店で、昨年、我が校の修学旅行の折たいへん世話になった、北京旅行社の毛さんに隣の席同士で出くわしたのには驚いた。 こんなに広い中国で、偶然とはいえ縁の不思議を思わざるを得なかった。

夕方には、長城ツアーに出かけた妻たちと合流し、ホテルの近くの燕沙百貨友誼商城(ケンピンスキーショッピングセンター)に買い物に出かけた。 ここでは、娘たちにはチャイナドレスを妻はシルクのシャツなどを買ったが、いわゆるツアー客を連れて行くあの土産物と違い品物はしっかりしていて値段も安い。

娘たちは、あまりの違いに、現在のツアーの中国旅行のやり方に強い憤りを感じていた。 土産物屋でボッタくるやり方は、多分、日本旅行社の入れ智恵だろうが、余りやりすぎると中国に対する不信感にもつながりよくないことだと思う。このツアーの安いからくりはこの辺にあるのかもしれないが・・・。

(ツアー客を連れていく土産物屋は、総じて日本語が流暢に話せる店員がいて、交渉次第で3050%の値引きはざら、しつこく付きまとい値段の折り合いがつかなければ、決まって、お客さんいくらなら買う?と持ち掛けてくる。 日本円が使えるのも共通している。
こういった店では、約3倍以上の値札がついていると思って間違いない。

良いものを買いたいなら、昔ながらの国営の友諠商店や百貨店のように現地の人や、欧米人等の旅行者もいる所で買うべきである。 そういったところでは、値引きはないし、品物を受け取るところとお金を払うところが別の決められた販売方法が守られている筈である。
いわゆる、珍しい現地の土産物を買うのなら門前の露天で現地中国人観光客相手に開いている店に行けばいい。)

この夜の夕ご飯は、皆のお腹の調子に相談して、宮廷料理を諦め、近くにある崑崙ホテルの日本料理屋で、高いうどんを食べるはめになってしまった。

最終日は、故宮を見て午後のJAL786便で帰りの途に着いた。 飛行機に乗ってしまえばホットする。急に食欲がわいてきて一年前と全く変わらない機内食メニューではあったがおいしく全部平らげた。 今は、朝鮮半島上空を通るので、偏西風にも乗りあっと言う間のフライトで関空に到着した。 海外初体験の娘たちには、何がしの収穫はあったと思うが、女3人を引き連れての家族海外旅行はホンに修学旅行の引率より疲れた旅であった。
行くのを嫌がった下の娘だけが、一番元気で帰ってきた。
今度行くとすれば、滞在型のリゾートにしようかと思う。



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(since:1.Aug.1996)

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