子どもの教育に悩める親の教育問題Q&A


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(since:1.Aug.1996)

 

子供が勉強しない

勉強するのは、自分のためであるという自覚を持たせること。
幼児期から勉強を強要すると、勉強は親のためにしていると思ってしまっている。
ましてや100点をとるとご褒美、というようにえさで釣って勉強させていたのでは最悪。
思春期には、子供によっては痛烈な反逆が始まる場合がある。
中には、いわゆる学校の勉強が苦手な子供がいる。これは、個性素質に関わることで、その子には学校の勉強では評価できない素質があるかもしれない。
あらゆる手立てをしても、いわゆる学校の勉強は苦手という子は少なからず存在する。苦手なものを、無理強いをすれば、結果は最悪。
他のところでも書いたが、100m走れば運動能力の差は歴然とつく。
人間のある一面の能力には当然個人差があるので、それを認めるべきである
。 そして、その子の最も良いと思われる素質を伸ばしてやることが大事ではないか。
"
頭”だけで勝負する必要はない。自分の最も得意とするところで勝負するのが最も良い。 100m、20秒で走る子は決してカールルイスと張りあわそうとは思もわないであろう。

どうすれば自覚するのか

現代社会で生きていくには、自分の価値を高めないといけない、ハングリィ精神が必要。
資本主義の世の中では、人間を商品化しているようで、俄かには認めがたい心情は判るが、厳しい現実は、能力のあるものには、無限の可能性が与えられることを子供にどれだけ自覚させるかである。
その方法には、模範の処方はない。ケースバイケースである。 かっては、学歴の無い親が、子供には自分の苦労は味あわせたくないというのも立派な理由であった。
将来に夢を持たせて、その実現に努力させるのもよい。しかし、これは親の現在の生き様が子供に夢を抱かせるものでなくてはならない。
親が果たせなかった夢を子供に託すのも良いだろう。
不合理なことの多い社会にあって、日本の国立の大学入試だけは曲がりなりにも、平等、公平さは保たれている。(最近面接制度を導入する所があるのはやや心配)
入試は、自分の努力が100%報われる唯一の出来事であることを自覚させること、そして、将来の自分の進路を、氏素姓、主義心情、金持ち貧者に関係なく、自分の意志で90%以上は決められる数少ない出来事であることを、どれだけ子供に自覚させられるかである。

塾に行かせるべきか

 

塾は、麻薬である。一度手を染めるとぬけられなくなるので、基本的には賛成できない。
しかし、受験勉強のにおいて、低学年になるほど指導者の詰め込みの効果は大きい。
中学受験では、現実的には、塾で鍛えられた者が高得点をとる割合が多いことは事実である。
しかし、いつまでも、その付け焼き刃は通らない。(入試の成績と、それ以後の成績はほとんど相関はない。むしろ付け焼き刃で入学してしまうと後が悲劇、そういった例は多い。本当は、中学レベルで選別するのには無理がある。)
勉強に於いては、如何に勉強するのか、自分に合った勉強方法を模索することが大事なことである。
塾では、決してそれを教えない.何故ならば、それを教えると自己否定につながるからである。
効率よく、試験のポイントを提示して、それを徹底的に暗記させる。 しかし、勉強にとって、最も大切なことは結果を暗記することではなく、何が最も問題であり、重要かを見抜くことと、それに対応する方法(文献調査)を見出すことにある。
問題点を自分で見出し、その対処の方法を、自ら開発していく姿勢は何も勉強だけではなく生きていくことそのものに対する処理の仕方に通じる。 長い目で見ると、能力のある者はちゃんとそれなりに目が出てくる。
それでも、塾に行ってる人に優秀な人がいると思うかもしれないが、その人は塾に行かなくとも、自覚さえ持てば、多分それだけの成績を上げられる人である。
お金を払うことにより、子供の勉強に関わったという免罪符にしかならない。 子供が自分で勉強する目的を持つ頃までの、低学年、特に小学校から、中学校1年ぐらいまでは、親のある程度のサポートは必要である。
ここのサポートを面倒くさがって、外注してしまうと子供は麻薬に汚染してしまう。
家庭の団欒も無く、夜中の10時、11時にまで子供が外にいることは異常だと早く気づいてほしい。 子供と接する機会が多くなれば、上記の様なことも折りに触れ教えることができ一石二鳥である。
しかし、これだけ塾通いが定番化した昨今では、成績が悪くなると子供は塾に行かせてくれないからだと僻むかもしれない。 その時は、本人が納得するように行かせるのもやむを得ない。
それまでに、自立的な勉強ができるようになっていたら、一時の迷いのため塾に行ってみても、結局問題集をやるだけなん だったら自分でやっても同じだと再確認するであろう。
そうなれば、親の役割は満点である。後は自立的に勉強しだす。(麻薬に手を出ささないのは、親の我慢と面倒見が大切)

最近の忌々しき傾向

 

少子化にともない、塾通いの低年齢化も急速に進んでいる。

塾の営業拡大戦略もあるかと思うが、最近では、小学校23年生で塾に通わせている場合が多くなってきている。

ある関西の有名な塾では、2ヶ月に1回行われるテストの点数によるクラス替えを行う徹底ぶりである。

10歳にも満たない子供をそんな環境において、勉強させることが将来人格形成上いかなる影響を及ぼすのか、冷静に考えてみるべきであろう。

そのような受験戦争を勝ち抜いて来た多くの生徒が、入学と同時に学習意欲を喪失する例を最近多く経験する。

多くの優秀な諸君が、私学を目指してくれるのは有りがたいが、内部にいるものとしても最近の行き過ぎた傾向は憂慮せざるを得ない。

自由競争故、ある程度の受験勉強は必要であるが、試験をする側から言えば中学入試に使える範囲は、小学5年から6年の範囲であるので、本格的に受験に向けて勉強するのは1年もあれば十分過ぎる程である。それでは心配という心配性の保護者には100歩譲たとしても、せいぜい5年生の半ばぐらいからやらせれば良いであろう。

それ以上塾に通わせることは、過剰投資であるばかりではなく、子供の成長にとってむしろ害にすらなる。

1年塾通いの受験勉強をして合格に届かない人は、それ以上やってもほとんど届かない、逆にいえば、小学校2年や3年から塾通いをして合格できた人は、6年の1年の塾がよいでも合格できたはずである。

子供はなま物である、潰してから後悔しても遣り直しはできない。

子供の才能を最も良く知っているのはご両親、とりわけ母親は直感的に見ぬけるはずである。

能力以上の期待を子供にかけるのではなく、能力にふさわしい期待と環境を用意してやるのが親の務めではないだろうか。

人生には、棺おけに入るまで敗者復活の機会は与えられているのだから。

98/09/26

僕の無塾子育て体験

僕には2人の娘がおります。僕が娘達にしてあげた事は、彼女らを大学にはいるまでほとんど無塾で通したことです。

これは、教育者の端くれとしての僕の信念です。(ただし、他人様の子供には強要はしません、あくまで、保護者の判断に委ねます)

教育産業の過剰なサービスのもと「勉強は自分でするものである」「勉強は自分の為にするものである」と言う当たり前のことが分からなくなってきている困った時代にあって、我が子は、この経験を通じて曲がりなりにも勉強の意味、やり方を学んでくれたものと自負しています。

塾通いの経験のない我が家では、夕食はほぼ毎日家族全員でとれました。子育ての過程では、それなりに色々な問題もありましたが、概ね、子供達の事は日頃の会話から把握できました。(副産物として、食卓での彼女らの会話から、生徒側から見た教師像について色々教えてもらいました。)

自分で勉強することは、思考錯誤が入るので、重点項目を指導者が提示してくれる塾と比べると、受験という面からみたら「勉強効率」は落ちるでしょう。

しかし、思考錯誤の中から未知の問題を解決するために、自分で必要な情報を集め自力で判断していく術の取っ掛かりを会得してくれたのではないかと思っています。

そして、最も大切なことは、人生の最初の大きな試練の大学受験で、自分の人生は自分の力で切り拓く経験をしたということです。

優秀なサポートの助けで勉強した人は、本当は自分の実力であったとしてもいつまでも自分自身に自信が持てない依頼心の強い性格になりがちです。

塾で育った親は、子育ての本質を忘れ、子育てとは子供に金をつぎ込むことと心得て、塾に入れないと我が子が落ちこぼれるのではと言う脅迫感に苛まれ、安らぎの環境である家庭経営を放り出してまで学費稼ぎのパートに勤しみ、まるで麻薬に犯されたように有名塾に入れることに奔走し、偏差値の数字に振りまわされる傾向が強い様に思います。

このような悪循環が世代交代で繰り返されていくと、だんだん社会は創造性のない受動的で活力の無いものになっていくような気がします。

子供が一人で歩くまで、手を差しのべない親の「がまん」が子育てには大切なのでは無いでしょうか。

 99/03/21

 

読者からのご意見(匿名で連絡帳に寄せられたものを転載しておきます)


Name: 2歳児の母親です

性別:

URL: http://

Message: 塾に関する記述について、どうも賛成できない点があります。

Message:

Message: 私は小学6年の時に、当時かなり派手に「○○中学に何名合格!!合格」と

Message: 掲げていたような進学塾に通っていました。

Message: しかし、ここの先生たちは皆かなり人間味があって、中には尊敬できる

Message: 先生も居ました。(学校には一人もいなかった。)

Message:

Message: 社会科の先生は、進学塾の先生のクセに(と、当時の私が思った)本当に

Message: 社会科が好きなようで、いわゆる受験勉強から外れてしまうことが多くて

Message: 「しょーもないなー」と思ったけれど、小学校の先生が教えてくれた社会科の

Message: 授業は覚えていないのに、この先生の授業の内容、というより、この先生が

Message: すごく楽しそうに教えていた表情はよく覚えているのです。

Message:

Message: 算数の先生は、いくつかの塾を股にかけた名物先生だったけれど、これはもう、

Message: 授業の面白さと、そしてやはりすごく楽しそうに教えていたこと、そして授業が

Message: 工夫に満ちていたことを覚えています。そして、この先生が教えるクラスは

Message: 成績順で分けた4クラス(試験の成績で毎月クラス替えがある)の、上位2クラス

Message: だけなので、その先生の授業受けたさに頑張る生徒が多数居たのです。私もその

Message: ひとりでした。

Message: ここで、「そういう良い先生こそ、成績が悪い子達を教えて、勉強の楽しさを

Message: 教えるべきだ」みたいなことを言う人がいるかも。それは現状の「学校の論理」

Message: です。どこか建前的です。それに「面白い授業」と言ったって、ギャグばかり飛ば

Message: して面白かったわけではなく、算数の授業として面白かったのです。メリハリの

Message: ある、小気味良いテンポで授業がすすむので、それについて行ける程度の力がない

Message: と面白くないのです。(時事ネタ漫才で笑えるのは、ある程度時事ネタを知ってい

Message: る人だけ、というのと同じでしょう。)

Message: 私がその先生のクラスに居た期間は、全体のせいぜい半分くらいでしたが、これが、

Message: 「算数が分かるようになると、面白いんだ。」ということが分かった最初の

Message: 機会でした。小学校では、算数が分かるようになると授業が退屈になるだけだった

Message: のですから。(もちろん、算数に限らず。)退屈になるどころか、分かっている

Message: ということを表に出しすぎると、「授業の足を(逆に)引っ張る子」として先生から

Message: 疎まれさえするのです。皆の進度を揃えましょう、というのが学校の授業でしたから。

Message:

Message: 当時から十分知っていたことですが、その塾の先生は、自分の教えているクラスの

Message: 生徒の出来次第で、かなりダイナミックに給料が変わるようでした。だからかなり

Message: 必死になるのです。でもその必死さが表に出ていて、かえって人間的で私は好きで

Message: した。きれいごとを建前にした学校の先生より、潔いのです。

Message: それに、そういうところで教えていられる先生(あまりに成果が上がらないと次年

Message: 度からクビになる)は、みなある程度教えるのがうまい先生で、好きこそものの上手

Message: なれ、で、教えるのが好きな先生だったのではないかと思います。

Message:

Message: とにかく、私の小学校時代の「心に残る先生」はみんな塾の先生で、小学校の先生は

Message: 「どうでもいい先生」か、「今考えても頭に来る先生」か、どちらかなのです。

年齢: 40歳まで

感想:厳しい意見です。われわれ私学は塾と公立校の中間にあるので両方の言い分が理解できます。僕の目から見ても公立は確かに硬直していると思いますが公務員教師の手前組織的にも難しい面があるのでしょうね。

僕のスタンスは、教育はあくまで多様性です。公立が立場上教育のスタンダードを提供していることだけは認めねばならないでしょう。私学は、その間隙を縫って存在しています。

公立があるから私学が存在でき、塾もあるのではないでしょうか。

公教育はあらゆるタイプの生徒を面倒見なければならないのでそこに自ずと限界があるでしょう。それらの問題点を、私学や塾がアンチテーゼとしてバランス良く共存していくのが理想かなと思います。

私学にするべきか、公立にするべきか

私学にも、公立にもそれぞれ一長一短があって難しい。

最近は、6年制私学が人気があるがその理由はつぎのようである。

  1. 高校入試がないぶん、親子ともども気が楽だから。
  2. 公立では内申があり正当に評価してもらえない。
  3. 公立高校は学校間の序列化が際立っている。
  4. 私学の方が、面倒見が良い。
  5. 大学入試に有利である。

全ての項目は、関連している。高校がほぼ100%進学するという現状では、中学の3年間はあっというまである。

中学2年からは、内申が評価されるのでなおさら受験を意識せねばならない。
内申に関しては、副教科の配点率が高く、かつそれらの評価は主観的になりやすい。
いわゆる勉強ができるタイプには、割合生意気者が多く、従順さで決まるような平常点は、不利益な採点をされる恐れをもっている。
(僕の2人の娘は、公立コースに進ませたが、その娘の話を聞いていたり、また我校の面談時に保護者から如何に、理不尽な扱いを受けたかの話を聞かされると内申制度はやはり問題があると思う。
余談だが、色々な機会に接する公立中学の先生のなかに 、生徒に対する態度が、高校や私学の先生と比べると、高圧的に感じる人が多いように思うのは気のせいだろうか。
内申という武器を後ろ盾にしている面はないのだろうか。
内申で押さえつけた授業は、評価が入らない中3の3学期にもなるといっせいに生徒たちの反発にあい授業が成り立たなくなるらしい。内申制度は子供たちを卑屈にする何者でもない)

私学にも、当然欠点はある。

  1. ある程度、選ばれてくるので似た者同志が多い。特に、有名進学校になるほど其の傾向は強い。
    (色々な人間が、混ざり合ったところで育った方が良い)
  2. 中学入試では、選別としては時期が早すぎるきらいがあり、成績のばらつきが大きい。
    有名進学校でも、入学当初から燃え尽き症候群か、いわゆる落ちこぼれの生徒が少なからず出る。
    公立が内申制度を導入しているので、高校からの公立への編入は極めて不利になる。
    こういう所で、一度、落ちこぼれてしまうとかなり悲惨なものがある。
    公立ならば、高校入試で、自分の実力にあったところに進める。
    (学校間格差があるのは、この点では長所である)
  3. 当然、私学は授業料が高い。
  4. 男女の単学が多く、男女交際については不利。

現実的には、これからもますます6年間私学の人気が高くなっていくだろうと思われる。
高校全入に近い状態では、一律の規定で全てを満足することはできないのに、公立は自由度が少ないから柔軟に対応できていない。
教育の分野にも、規制緩和、自由化が必要である。
しかし、僕も妻もそれぞれ別の、6年制単学私学の出身だが、2人の娘はオーソドックスに公立コース(小学校から大学まで)にいれました。


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