「カンボジア復興支援−地雷撤去活動」に協力を!!

アキ・ラ地雷博物館日本支援センター

この会は、戦火で荒廃したカンボジアを、昔のように、自然豊かで平和な国に戻す為に活動するボランティア活動(NGO)です。

シェリムアップ地雷博物館(館長アキ・ラ氏)とも提携し、600万個以上ともいわれる埋設地雷の除去の活動の支援を行っています。

また、壊滅状態にある、医療設備の復旧援助なども目指しています。

人的協力、資金的協力をお願いします。

 

事務局:奈良県生駒市真弓1−5−17

代表:松川朝洋

ASAHIRO MATSUKAWA

アキ・ラ氏とともに

TEL(0743)78−7176

またはmatukawa@m3.kcn.ne.jpまで

アキ・ラ氏 来日  カンパで病気治療のため

2006年9月25日 朝日新聞より

 

  

 

ア・キラの地雷博物館について

アキラの地雷博物館一地雷はもうたくさん

        ‡

 アキラ、かれの名前は日本人のようでも実は、クメール語でアキは、太暢の神を意味する、そして、ラは、速く走るものをさす.速く走る、太陽神、それがかれの名前の由来である.              

彼は、25歳。しかし、本当には何歳か、彼自身も知らないでいる。それは、カンボジアの多くの人がそうであるように、生年月日そのものにあまりこだわっていないことによるものであろう。1975年、それはカンボジアでクメールルージュ政権が樹立された年でもある

 その時、村で中学校の先生をしていた彼の父親は、多くの知識人と同様に、殺されてしまった。

そのため、かれには父親や母親の記憶はない。生まれたばかりの彼は、他の同年代の子供たちと同様に、集団キャンプに暮らし、その中で母親代わりの女性に育てられている。

実は、その母親代わりであった55歳の女性と最近になって再会、今地雷博物館のあるシアムリアップで、本当の親子のように2人で暮らしはじめている。もちろん、兄弟がいたのかさえも彼の記憶にはない。

 

 なぜ、地育の専門家になったのか 

             

 19791月カンボジアに侵攻してきたベトナム兵.しかし、彼のいた、シアムリアップにベトナム兵が婆をあらわし始めたのは、1984年頃.最初に、彼のいた村ではポルポト派の兵隊とベトナム兵との戦闘がしばらく繰り広げられた。ポルポト派の兵隊にかわってベトナム兵が村に駐屯。彼のいた子どもグループは、ベトナム兵に連れていかれ、兵隊と暮らし始めた。そのとき、ポルポトが悪いことを教えられ、そのうえで、ベトナム兵のグループに兵隊として入れられた.彼は、まだその時、10歳そこそこであった。

 それから、シアムリアップからバッタンバンにかけての地域でベトナム兵と戦闘を共にした。その時、彼は地雷の撤去方法を実践の中で学んでいった。ベトナム兵の前を彼と同じようなカンボジアの少年兵が先に歩かされいた。その時、地雷を早く見分けられるかどうか、見つけた地雷を安全に処理できるかどうか、それはかれにとってそのまま死活問題であった。   ・

 そのころの、地雷にからんだベトナム兵とかれのエピソードの話は、おかしく、でもとてもシリアスな当時のかれの生活をよくあらわしている。

1989年、ベトナム軍がカンボジアから撤退するまでつづく。ベトナム兵の撤退した後は、カンボジアの軍隊に所属しながら、夜間の学校に通い読み書きの勉強をはじめた。それは、彼が15歳のときである。

 国連軍との連携

1994年から、カンボジアの国軍に所属していた彼は、国連軍UNTACのフランス人専門家と地雷撤去の仕事を開始した。

とうぜんそれは、かれの地雷撤去の技術と経験を評価されてのことであった。

 その間3年半、COFRASCIDEVなどの地雷撤去のための国際機関で働いていた。その後、1997年から自分で地雷撤去の仕事を始めた。多くは、村の人が農作業などをしながら地雷を見つけると連絡してくる。そして、ポルポト派も政府軍の人たちも、自分で昔に埋めた地雷の撤去を依頼してくるようだ、と彼は笑う。

めた地雷の教義を奴耕してくるようだ。と、かれは笑う。

 アンコールワットの遺跡周辺にも多くの地雷が現在もあり、やはり自分で昔埋めた人たちがどこに埋めたかを教えてくれるようで、現在もその撤去に従事しでいる、これはまったくかれが自主的にやっていることである。

 

 地雷博物館の開設      

 

1998年から旅行のガイドの免許をとり、現在の地雷博物館のあるところで暮らし始めた。彼は、英語、フランス語、日本語も堪能で、ほとんど不自由なく話せる。現在の場所もやはり地雷があり、それを自分で除去、家を建てすみ始めた。。最初、周りには誰も住んでいなかったが、最近たくさん家ができたらしい。その中で、除去した地雷を展示し始めた。

博物館を開設したのは、3ヶ月前からで、最初は反対するひと多かった。5ヶ月前にシアムリアップの元知事から地雷撤去の仕事に対し感謝状をもらった。そして3ヶ月前には,現知事と観光局からそれぞれ感謝状をもらい、正式に博物館としてオープンすることができた。

 かれは、まずカンボジアの人たちにこの地雷の恐ろしさを知って、見てもらいたいと思った。そして併せて外国人にも、地雷を理解してもらいたいと思った。そのためには、このような施設が必要だと考えた。

 

 アンコールの遺跡周辺での地雷除去

 

 それがかれの、現在の大きな仕事になりつつある。かれは現在カンボジアで中心的に地雷除去をすすめてきているCMACという組織から、声をかけられ時には共同で地雷除去作業を進めている。

アンコール周辺にも以前多くの地雷があることは知られている。が、遺跡保存地域であると言う特殊性から、一般に行われているような地雷発見後爆破して除去するやり方は難しい。

そのため彼が進めている,信管を取除き内部の火薬を取除く方法であれば遺跡への影響を防ぐことができるということで、現在改めて注目を浴びているようだ。

しかし、この彼の方法は、長い実践的な経験の上に可能になった方法であり、簡単に誰でもが習いできるというものではない。彼のこれまでの経験に裏付けられた職人芸のようなものである。

 

数ヶ月前にオープンしたばかりの地雷博物館であるが、周辺の村民や地雷撤去作業を進める機関や政府からも、熱い視線で見られ始めている。彼のひょうひょうとした性格とともに、カンボジアの中で重要な地雷除去の仕事を彼が一人でも進めていこうとしている活動、熱意には敬服に値する。

 

 

 

地雷博物館と地雷除去作業(アキ・ラ氏)

 

 

世界のマスコミで取り上げられています。(拡大する場合は画像をクリック)

 

 

朝日新聞

朝日新聞

 

朝日新聞記事(殺戮の遺物私は語り継ぐ)補足

アキラ地雷博物館が現在、閉館状態であることについて。

 公式の理由は政府が許可した以上に地雷を展示していることらしい。現在約6千個展示してあるが、地雷には火薬・信管は抜いてあり、全く安全である。これをもって閉館を強要される理由には根拠が薄い。

そこで次のような憶測を生んでいる。 その隠れた理由としては、観光資源として、軍が彼に代わり博物館を造り、営業しようと考えているのか、または、政府の管理している地雷除去チームが3000人の人員を擁し、数十億の金を使いながらも、1年で1万個しか除去できないでいるのに対し、彼は、一人で殆ど金も使わずに、6千個を処理することに脅威をもっているのではとも考えられる。

 あるいは、彼の活動が上に一例を示したように、世界の新聞に取り上げられはじめ注目を浴びるようになってきたことが、今後、コントロールの効かない政治勢力となるのではと危惧している為か、本当の理由は定かではない。朝日新聞の記事もこれらのことを気にしながら書いているようで、あまり表面化すると彼に危険が及ぶことにもなりかねないと言う見方をする向きもある。

アキ・ラ氏の著作(全文講読の場合は画像をクリック)

 

Landmine MuseumInformetion Centre

Mr.AkiRa,Director

SiemReap Angkor

Cambodia

Tel(855)012-630-446

This museum is not govermment-supported.

Your donations are appreciated and will help rid Cambodia of landmines.

 

Last Update:

(since:1.Aug.1996)

 

備考:松川朝洋代表からの依頼により資料の提供を受け作成しました。日本での広報活動を支援しています。

2001-05-06

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