松川利行の世界

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blog ふう:つれずれなるままに・・・No3団塊異見☆

 

2009/0/22

■映像詩「天平萠ゆ」制作について■ 

 
 

 僕達にとって東大寺は不思議な存在です。ある種のイデオロギーを押し付けられたという感覚はありません。しかし、1250余年変わらずそこにあり続けることに、圧倒され感動を覚えます。

 お水取りは、2010年で1258回目となりますが、752年に1回目が行われてから1度も欠けていません。たぶん連続記録という点では世界に例のない宗教行事です。

 このことについて、現管長の上野道善師に尋ねたことがあります。師の答えは「自分でもよくは分からないが、行に入ると途絶えさせてはならぬという不思議な強い強制力を感じる」と、いうことでした。

 今回の企画のサブタイトルに、「大仏殿の八角灯篭、音声菩薩から何が聞こえてきますか・・・」とあります。この灯篭は大仏殿ができてからずっとあの位置にあり続けています。近年は酸性雨のため傷みがひどいので、文化庁はレプリカにして本物は収蔵庫に保管してはどうか、と進言したそうですが、寺はそれを断りました。そこになければ意味がないからという理由です。

 僕は、古希近くなった先輩達が、突然何かに駆り立てられるように今回の企画を進行させていること、お水取りが1回も途絶えず続いていること、八角灯篭があそこにあらねばならないこと、これらは全部共通しているように思います。それは「音声菩薩から聞こえてくる」もののように思えてなりません。

 今回の映画の主題は、その答えの映像化です。聖武天皇が大仏建立を思い立たれたとき、できるだけ多くの民の参加を求められたそうです。多くの人がかかわってこそ建立の趣旨に則ると考えられたと伝えられています。この映画の製作は、聖武天皇の大仏建立の意味を、現在の視点で見つめ直したいという「想い」で行っています。

したがって「想い」を共有できる、できるだけ多くの人々の支えで実現していきたいと考えています。みなさまのご協力をお願いいたします。

                                                

 

                                 「天平萠ゆ」製作実行委員会事務局長

                                                 松川 利行

 ご協力いただける方を募集しています。1口5000円です、「天平萠ゆ」のHPから、E-メールで連絡ください。趣意書と振込み用紙を送らせていただきます。尚、2口以上の方には、ドキメンタリー映像詩「天平萌ゆ」のDVDを進呈します。

 

2/8/2009

■ドライアイスの煙の正体■ その後3

 

 

論文は奈良県理化学会会報に投稿し掲載された(第47号 pp.13-17)。その後、全国大会で内容が認められ、日本理化学協会の「研究紀要」200840pp113117に採用されました。dryice

 

 

2008/07/24

■ドライアイスの煙の正体■ その後2

 

 

ドライアイスの煙の正体は溶媒の水の結晶(固体)であると分かって1年がたった。久しぶりにネットで検索して見たら、学研のサイエンスキッズ 科学の不思議たいけん 科学なぜなぜ110番というサイトに、「ドライアイスを水に入れるとどうしてけむりがでるの」というコラムを見つけた。(http://kids.gakken.co.jp/kagaku/110ban/text/1480.html)色々説明があって結論はドライアイスの白いけむりは、冷やされて霧になった、まわりの空気の中にある水蒸気ということです。」ということだ。

学研は低学年の科学啓蒙誌の発行では歴史のある会社である。この会社にしてこのような間違ったことを堂々と発表していると言うことは問題だ。

これが日本の教育界の認識を代表しているものと思うが、早く正しい認識に改めて欲しい。それを願って昨年「化学と教育」誌に投稿したdryiceのに、ここも学研と同じレベルであったわけでなんとも致しがたい。

 

 

2008/05/18

■この問題良問? 電気分解の教え方■

 

 

電気分解の範囲のテスト問題の材料を探していて、次のような問題に気がついた。2003 年の名古屋大学 の問題である。

問1 次の2つの実験に関する記述を読み,設問(1)(5)に答えよ。

(実験1) 5%の硫酸マンガン(U)水溶液を,陽極に炭素棒,陰極にステンレス鋼板を用いて電気分解したところ,溶液内の炭素棒の表面に黒色の物質が付着した。次に,この炭素棒を水洗した後,濃度0.300mol/lの過酸化水素水に浸したところ,黒色の物質のまわりから多数の気泡が発生した。

設問(1):実験1で,炭素棒に付着した黒色の物質の化学式を記せ。

さて、高校生はどう答えるのだろうか?

高校生のレベルでは、同種の電気を帯びたものは反発し、異種の電気を帯びたものは引き合い、電気泳動では、プラスイオンは陰極へ、陰イオンは陽極へ移動すると習っている。この溶液では、マンガン(U)イオン、硫酸イオン、水が存在する。

まじめに化学を勉強してきて論理的に考える生徒にあっては、陽極の炭素棒の周りにあるのは、プラスに帯電しているマンガン(U)イオンは反発して遠ざかり、マイナスに帯電した硫酸イオンか中性の水と考えるだろう。そこで、陽極にあっては酸化反応が起こるので、硫酸イオンと水の競合にあっては、水分子の酸化数が(−U)の酸素原子が酸化され酸素(気体)が発生するというのが答えになる。

しかし、設問では気体でなく黒色の物質が付着したとある。ここで、論理的に考えてきた生徒は???で破綻する。

 考える生徒は論理的に破綻してここで終わるのが普通であるが、電気分解のことは無視して、「過酸化水素水に浸したところ,黒色の物質のまわりから多数の気泡が発生」という事柄だけで判断し、中学校で酸素の発生で習った過去の自分の知識から、不詳不詳に、これは二酸化マンガンであると答えるかも知れない。これでは、電気分解の問題設定自身が無意味になる。

確かに、電気分解の電極反応は陽イオン、陰イオン、分子にかかわらず、もっとも反応しやすいものが反応するというのが専門的には正しい理解であるのだが、教科書の例や記述からそこまで理解し、陽極で陽イオンが反応すると考える生徒はいるのだろうか?

教える側の教師のほうですら、この辺の理解度は怪しいのが現実だし、また、中等教育の発達段階でここまで要求されると却って理解を混乱させるだけだ。

このような、問題を孕んだ出題を大学入試に敢えて選んだ大学の意図とは何辺にあるか?

理解度の低い中等教育現場への啓蒙のつもりなのかな。いい学生をとりたいという選抜試験には意図を満たせない悪問だと思うが・・・

ひょっとして、出題者自身何も考えていないのかもしれない。大学は中等教育段階の教育内容をもう少し勉強して、出題段階でもう少し揉んでもらいもだ。

 

2008-04-19

■ドライアイスの煙の正体■ その後

 

 

昨年の夏、ドライアイスを水に入れたときに生じる白煙の正体が世間の常識になっている、水滴()であるということに疑問を持った。掴めばすぐに消えてしまうこの正体を見極めるのは至難の技と思っていたが、色々考えているうちに良いアイデアが浮かんだ。           

 たいそうな装置を必要とするわけではなく、ちょっとしたデータと、観察だけでその正体を見極めた。インターネットで検索してみると実に多くの人がドライアイスの煙について興味を持っていることがわかった。しかし、白煙の正体は水蒸気が冷やされてできた霧という答がほとんどである。その結論は、思い込みからくる直感でまともな検証(実験)をしたものはない。

 それではと思い、論文にまとめて学術誌(「化学と教育」)に投稿した。さんざん待たされた結果、実験操作・内容に関して先行公開情報のプライオリティーを尊重する記述がなく、また先行内容のプライオリティーを認めた上での本論文のオリジナリティー・プライオリティーを明示していないと内容についての判断が無しに形式論で却下されました。でも、僕はどうも拒否理由が理解できません。査読氏が指摘した先行公開情報とは日本分析化学専門学校のHPの記事(http://www.bunseki.ac.jp/naruhodo/jugyou25.html)なのですがこれがまともな先行公開情報でしょうか?査読氏は日本分析化学専門学校という看板だけを信用し、内容については理解されていないようです。査読氏の姿はこちらからは見えません。科学はすべての偏見を排し、事実だけに基いて判断されるものと思っていましたが、どうも、この学会はそうではないようです。形式主義、権威主義としか感じませんでした。 

科学は遊び心も大切です。「格式」のある日本化学会化学教育協議会には、一介の高校教師が授業の合間に乏しい実験環境で思いついたアイデアひとつで証明したものなどは研究に値しないとでも言いたいのでしょうか。証明の面白さ−これこそ誰も考えたことのないオリジナリティーだと思うのですが−どうして内容で評価しないのでしょうか?こんな何の役にも立たない事柄に付き合ってる暇はない(しかし、今までこの雑誌に掲載されている論文は現場の化学教育には興味のないものが多いのに)、有体にいえば敷居が高い、礼儀に欠けるといことかな?  

 でもなあ、ネットで検索する限り、ドライアイスを水に入れたときに生じる白煙について、きっちりと水の固体(微小氷)であると証明したものはなく、それどころか珍説がまかり通っています。

 以下に、UPしてありますので、ドライアイスの水に入れたときに生じる白煙の正体が固体であるという僕の(間接)証明が正しいのか否か、この査読氏の却下理由が相当か、ご判断ご意見くだされば幸いです。

dryice

 

 

2007-10-15

■日本画と洋画■

 

 

 日本画と洋画を比べてみて気が付いたこと。日本画は近づいて鑑賞するようにできているが、洋画は近づいてみるより、ある程度はなれて鑑賞するようにできているように思う。日本画は大きな美術館では映えない。少し離れてみてみると何を描いてあるのかわからなくなる。油彩の場合、同じ大きさの絵であっても、遠くから見ても映える。近づいてみると、日本画は細かい部分まで小筆で丁寧に描かれているが少し離れるとわからない。一方、油彩の場合は近づいてみるとアラが見えるが、遠ざかると不思議なことに自然に見える。飾られる空間の大きさの違いから生じた特徴かもしれない。

 

2007/10/14

■時間の経過■

 

 

 先人も同じように感じたらしいが、年を重ねるにつれ時間の経過がだんだん早く感じる。これは、一定の経過時間も分母の部分が年々長くなっているのと、やらねばならぬことが多くなるのが相まって、物理的には同じ1年の時の経過も感覚的には年々短くなるようである。

 今年は、ついこの間まで、暑い夏だったのに、突然、秋を通り越して冬のような気候になったり、また、公式行事、私的行事もいろいろあって、疲れが溜まっていたのか、昨日より扁桃腺を腫らしてしまい、久しぶりの発熱で敢え無くダウン。今日は一日布団の中。これから益々忙しくなるのに・・・

#今日イギリス在住の知り合いからメール。ロンドンのこの夏は冷夏だったそうな。地球の気象は難しいです。

 

2007-10-12

■一本の木に紅白の萩の花■

 

 

 ちょっと、気付くのが遅かった。庭木を手入れしていて、すでに散り収めになっていたが、今年も萩が咲いていた。

 我が家には、実家から持ってきた不思議な萩がある。一本の木に紅白の花が咲くのである。今年は撮影の時期を逸したので花の数は少ないが、下の写真にあるように、奥の赤い花のついている枝と手前の白い花のついている枝は同じ幹からでていることがわかるだろう。この萩の株は数本が束になっているのだが他の木にはすべて赤い花しか付いていない。

 この萩は、母がどこからかもらったらしいことを生前に聞いたような気がするが由来は良く覚えていない。 どうすれば、このような不思議な萩ができるのだろうか。我が家の萩も、この一本以上増える気配はない。できたら増やしたいと思っているのだが、詳しい情報をお持ちの方が居られたら教えてもらいたいと願っている。

 来年は、時期を逸せず、この珍しい花の写真をとろうと思っている。

 

2007-08-28

■課題学習■

 

 

 ここ数年、夏には絵を描くことを課題にしている。自分自身で自分に適当な負荷を旨くかけ続けられるようになれることが自立ではないかと、今頃になってようやく気が付いた。

 日曜「画家」ならぬ夏休み「画家」で自己流の油絵を描くことを復活してはや20年になる。今年は20号を2作描くことに決めていた。通算作品番号は40番と41番。自己流で始めた油絵だが、まだまだ道半ばながら、ここへ来てなんとなく自分流ができてきたような気がする。

 油絵は、まだ粗く色を置いた当初のイメージで決まるような気がする。最初のイメージが自分の思い描くものと乖離したと思うときは、さっさと止めてしまう。でも、不思議なもので、最初は良いと思っていても、中盤で色を埋めていったらだんだんイメージが崩れいやになることもある。問題は色彩が気に食わないのである。その時には、色々試行錯誤を重ねる。最初のときには修正を加えると良くなったのが其の都度実感できる。この過程が描いていて最も面白い。しかし、技術的な問題があってか、修正を加えても思い通りのイメージに届かなくなってくる。その時が、現在の自分の最高のレベルに達したときで筆おく潮時となる。この限界のレベルは、後になって眺めてみると上がってきていることが分かるがまだまだである。

 僕などはアマチュアの夏休み「画家」だから良いけれど、プロになると精神的にきつい作業になるなあと理解できる。芸術を職業にしている人には頭が下がる。

 

2007-08-16

■不思議な青空 No2

 

 

昨日は初体験ゆえ気が付きませんでしたが、薄明光線は空間的には平行で、太陽から放射状に広がっ
て見えるが、太陽と反対側の空まで伸びていると、太陽の反対の位置に収斂するように見えるらしいで
す。それを反薄明光線と言うそうです。
 
 今日もほぼ同じ時刻に観察できました。昨日よりは状態は悪く西の空の方はうまく出ませんでした
が、東の空に、収斂する反薄明光線を観察できました。
この猛暑、大気中には水蒸気濃度が高いのでしょうね。
 
 

 

2007-08-15

■不思議な青空■

 

 

今日夕方、日没直後、西の空から東の空に向けて、まるで空にできた道のように青空が放射線状にできていた。

気がついて10分ほどで消えてしまったが、最盛期は逸したが何とかデジカメ写真に収めた。こんな青空、はじめてみた。

青空の部分だけ、水蒸気が少ない状態に思えるが、どうしてこんなことが起こるのだろうか。

理科と教育のMLhttp://www.s-yamaga.jp/rika-kyoiku/rika-kyoiku.htmに流してみたら、
答えが返ってきました。
薄明光線という現象です。西の空低空にある雲間からもれる太陽の光が薄いもやにあたって白く
見えていて、太陽の光が当たっていない部分はもやが目立たないために背景の青空が見えているの
だそうです。納得、有難うございました。(2007/8/16

 

 

2007-07-01

■ドライアイスの煙の正体■

 

 

 ドライアイスを水に放り込むとモクモクト白い煙が発生する。この煙にとり憑かれてしまった。現状を調べてみると、水蒸気の粒なんていう珍回答があるが、水蒸気は気体、透明で目には見えない。化学教育界での定説はドライアイスで冷やされて出来た小さな水滴となっているようである。これは、水に入れたら煙が出るが、サラダオイルの中に入れると透明な泡しか出ないという「見事」な実験から結論つけられたらしい。(たのしい授業 1998年 8月号 p163

 しかし、このひとつの実験で片をつけてしまうにはもったいない現象だ。綺麗な煙に触ってみるとそう単純に結論を出していいものかなあと思っている。ちょっと試してみても水滴と仮定してしっくり行かない興味ある事実がいくつか思い当たる。勘というか何か匂うのである。水滴としても単純な水滴ではないだろう。H2OCO2役者がそろい過ぎている。 予備的にやったとき、水に入れたドライアイスは最初は盛んに白い煙の泡が立つがそのうち透明の泡になってしまうことが不思議に思った。温度が関係しているのかというこの疑問は前出のたのしい授業の著者も指摘しているが、この疑問については簡単に解けた。疑問が解決するとファイトが湧いてくる。次の攻めどころは難関だ。解決のために次々アイデアは浮かぶがこれからは台所の実験では埒が明かない。暇と金がいるが今は両方とも無い。それが問題だ。(ドライアイスの煙について情報お持ちの方教えてください)

自己フォロー

 結論が出た!!正体は予想どおり固体 「氷の微粉末」である。たのしい授業やインターネットで書かれている「水滴」ではない。

 久しぶりに自然の謎解きに興奮した。研究を外れてもうずいぶんになる。理系は実験室を出れば陸に上がった河童と自嘲していたが、やはり自然科学は実験が原点であることも久しぶりに再確認した。

 とはいえ、実験設備とて中等教育レベルではそう完備されていないのでそこは技術で補った。ひとつの仮説をたて、それの確認。更なる仮説の構築、確認という作業を経てようやく結論にたどり着いた。結果からいうと、初期の「これは水滴ではないぞ!」という直感がものは当初考えていたものではなかったけれど当ていた。全面解決に至ったきっかけは、思い通りの結果が得られず諦めかけていたとき偶々出くわした薬品のおかげであった。ひとつの現象の発見から、今度は理論を再構築し、其の証明のために考えた試験が思ったとおりのデータが得られたときには久しぶりに自然科学の面白さを実感した。

 考えてみれば、ドライアイスの煙が何であっても天下国家には関係ないけれども、サイエンスの面白みはやったものだけしか分からないだろう。どんな小さなことでも、造形の神のみぞ知る自然の理を知っているのは今は自分だけだぞ!というのは結構楽しいものである。

 他愛無い謎解きではあったが、それでもそれなりのサイエンスドラマがあった。何故か、寝起きにフトいいアイデアが浮かぶことが多いことを経験した。夏休み前に解決して良かった!

この結果はつまらない事にも興味を持っている人たちがいるところへ発表し、批判を仰ごうと思っている。

2007-07-06

 

 

2007-06-17

■体重50g台に■

 

 

 本日体重が遂に59.9kg50kg台になった。実に30年ぶりかな。20歳代、会社にいた頃にはタバコも吸っていたので55kgほど、30歳でタバコを止めたら体重が60kgに、会社を辞めて今の職業についてからは、体重が65kgになって、以後65から66kgをキープしていたが、水泳をやり始めてジワリジワリ低下し始め、今日、遂に50kg台に突入と相成った。お腹周りの脂肪は完全に放逐!!

 

2007-06-09

■体脂肪率■

 

 

 久しぶりに体脂肪率を測って見たら15%を切っていた。少し出かけていたウエストも30年前のレベルにまで低下、 昔のズボンが楽にはけた!!

 病気や自然に下がったわけではない。フィットネスクラブに入会しはじめた水泳のお陰である。毎晩、ほぼ毎日泳いでいる。そろそろ4年にもなると、一日のリズムの中に水泳が入ってしまったので、今では完全に“日常”である。最近は、泳ぎも上手くなったのと体力もついたためもあるが、一日1.52.0kmと以前より長く泳ぐようになったのが、効を奏したのだろう。プールには、水泳の効能を具現しているような高齢者が多くいて、いつも元気をもらっている。

 

2007-05-06

■孫■

 

 

 この連休、嫁いだ娘が孫を連れて帰省中。未熟児ぎりぎりの2500g程度で生まれて、約半年、体重は8000g程度になっている。その間、母乳しか与えていないので、この肉体の全てが母親から与えられたもので構成されている「純品」だということになるのだが、生命の継承の不思議を目の当たりにする。母親にとっては正に「分身」であることが実感できているはずだが、男にはその気持ちは想像の域を出ない。

 我が子と孫の可愛さは違うといわれるのが、自分もなってみると良くわかる。我が子の時は、可愛さよりも心配が先に立ち、可愛さを楽しむ心のゆとりが無かったからだろう。無垢な表情に心底癒される。

 

2007-05-03

■東大寺三月堂の仏様■

 

 

 東大寺大仏殿の東、若草山の麓を上院という。東大寺の前身に当たる金鐘寺があったところだが、ここに、三月堂(法華堂とも言う)がある。このお堂は、法隆寺についで、日本で2番目に古い木造建築で、天平12年(740年)ごろの創建。実に、1260年あまりもの間、この地に存在し続けているお堂である。堂自身も当然国宝だが、このお堂には日本を代表する、16体もの仏像が所狭しと立ち並ぶ、学術的には、東大寺で最も重要な建物である。しかし、一般観光客にはあまり知られておらず、実に質素な佇まいである。

 このお堂には、本尊の不空羂索観音他、15体の仏像がある。木造の地蔵菩薩、不動明王は鎌倉時代の制作だが、残りはすべて天平時代。天平の14体の仏は、最も古い製法の乾漆像が、本尊の不空羂索観音はじめ9体、塑像が仏教美術を代表する日光、月光菩薩を含め5体ある。

 これらの仏像のうち、鎌倉時代の木造の2体は重要文化財になっている。また、乾漆像の9体はすべて国宝である。しかし、不思議なことに天平時代の仏像を代表する月光、月光菩薩、秘仏の執金剛神像(国宝)と共に,同時代に作られた吉祥天、弁財天像は、何故か格下の重要文化財である。

 不思議に思い、お寺の人に尋ねて見ると、実は、この二体も以前は国宝であった由、ところが、後で重要文化財に格下げされたらしい。その理由は、これらの像が、塑像であることにあることにつきる。最初に作られた乾漆像は、粘土で作った像の上に、漆を糊代わりに何枚もの布を巻きつけ、乾いた後、中の粘土を取り除いて作る方法だが、高価な漆を大量に必要とする。多くの仏像を作るには経済的負担が大きく、仏教の広まりと共に、安く出来る塑像で作るようになったらしい。   塑像は、粘土なので、細かい表現が可能で良い面もあるのだけれど、最大の弱点は、強度的に弱いということである。長年の光や風などに晒されることによる「風化」が起こり易い。同時期に作られた塑像の執金剛神は鮮やかな天平の色彩が残っていて有名だが、この像は秘仏で厨子に保管されており、年1回 12月16日の1日しか開廟されていないかららしい。ということで、この2体は痛みが激しく、相当の修復が近年に施されたということで、格下げにされたようだ。

 それにしても、この地に1260年も変わらず立ち続けているということは,驚異である。三月堂のあるこの上院地帯は、有名な活断層の真上に当たるのだし・・・・

 

 

2007-05-02

■言葉の意味■

 

 

 「物体」と「物質」、漢字1字違い、どちらも話し言葉では、「もの」で通じるが、日頃無意識に使っている言葉も、いざ違いを明確に説明せよといわれると窮する場合がある。

広辞苑で調べてみると、物体:長さ・幅・高さの3次元において空間を充たしていて、知覚の対象となりうる物質。もの。 物質:質量のあるもの。場を成立させるものを指すことが多い。基本的には、電磁場の粒子である光子なども含めて、素粒子およびその結合体。と、物質の方などは、却って分からなくなるようで難しい。小学館の国語辞典では、物体具体的な形をもって存在しているもの。物質が集合してある形体をなしている物。物質:自然界を構成する要素の一つで、空間の一部を占め、質量をもつもの。 広辞苑よりは分かり易いが、果たして違いはこれで分かるのだろうか?

もっと簡潔に言い表せないものなのだろうか? 僕は、物体は、質量と体積をともなうもの。物質は質量はあるが、体積は定義(不定)されないもの。と定義している。これによると、氷山は物体だが、氷は物質ということでその違いが明白になる。僕はこの定義が気に入っている。如何なものであろうか。

同じようなことで、「科学」と「技術」、違いを明確に表せるだろうか? この言葉、日頃は、「科学技術」と続けて4文字単語としても使われるので、余計事態を複雑にしている。このことについては、どこで読んだのか聞いたのか失念したが、感心した定義がある。 科学は発見で、技術は発明 この明快な回答には唸った。これは授業で使わせてもらっている。

 

2007/04/29

■誕生日■

 

 

 今日は僕の58回目の誕生日。昔は、昭和天皇の誕生日、それがみどりの日になって、今では昭和の日というらしい。天皇が亡くなったとき知ったことだが、この天皇とは誕生日のほかに共通点があと2つもある。干支が丑年、血液型がABである。 日本人の血液型の割合でAB型は少数派の9.4%ということなので、妊娠する確率が年を通して同じと仮定すると、同じになる確率は約5万分の1ということになる。それが何だと云われればそれだけのことであるが、ありがたい事は誕生日がいつも祝日で休みだということ。

 

2007/04/27

■火打石の火は何が燃えているのか?■

 

 

園芸用の小さな草刈鍬を使っていて、小石に当った時火花が飛んだ。この火花は一体何が燃えているのだろうかと気になった。火花が出るのは、摩擦熱によって生じた熱により何らかの可燃物が燃えているはずである。石が燃える?! そういえば、「火打石なるものがあったなあ、あれは一体何が燃えているの?」といつものように、悪い癖、連鎖疑問が生じてきた。

子供の頃に、きれいな白い石を集めていて、それらの石を暗闇で強く打ちつけたり擦ったりすると石が光ることは承知していた。また、時代劇で、旦那が危ない仕事に出かける前に、妻が旦那の無事を祈って、出かけに後ろから火打石でカチカチと切り火をするシーンを、さんざん観て来て信じ込まされてしまっていいたのも理由の一つと思うが、火打石は、2個の火打石を打ちつけて火花を出すというように漫然と理解していた。

しかし、今、改めて2つの石を打ちつけてみると、確かに光が出るが、これで火が起こせるとはとても思えない。僕は「誤解」をしていたようだ。石と石を強くぶつけて出る「火花」の寿命はとっても短く、量的にも少ない。石自身は燃えるわけではないので、この火花の正体は、摩擦によって生じた熱により高温になった小さな石片が光を発しているものと解釈できる。(しかし、ネットで検索してみると、歴史的にはこうした方法でも火を起こしていたような記述がある。本当に可能なのか、今となっては疑っている。)

化学的に考えてみると、火を起こすということは、何かが燃えなければならない(酸化する)はずである。石に燃える成分があるはずがなく、火を起こすことが不可能なのはちょっと考えればわかることである。では、一体何が燃えているのだろうか? 庭での出来事は、草刈鍬が小石に当ったとき、火花ができたわけだが、その折にも、鉄でできている鍬のほうに理由があるのかは考えてはみた。しかし、一瞬の摩擦熱で、鉄が燃えるというのは無理があるなあと、その時はそれ以上に考えることはしなかった。だが、ネットで検索して分かったことだが、実際に火を起こしていた火打ちの方法は、火打石と火打ち鉄を打ちつけていたという事実だった。火花の本体は、どうも鉄が鍵のようだ。

鉄粉をバーナーの炎にいれると燃える。これは鉄が酸化するからである。鉄と石を強くぶつけたとき、衝撃で高熱の鉄片が飛び出てきて燃えたという仮説が成り立ちそうである(そう説明しているサイトが多い)。しかし、鉄がそれくらいで簡単に燃えるのは、それも俄かには信じがたい。そこで、ここからは、僕の仮説なのだが、次のように考えた。この仮説を思いついたのは、火打ち鉄の材質が、鋼を使うらしいことを知ったからである。鋼とは炭素(1.7%程度)を含んだ鉄のことで、精錬しただけの鉄には結構炭素(7%くらいかな)を含んでいるものである。炭素ならすぐ燃えるから、その燃焼熱で細かい鉄片も燃えることは十分考えられる。実際、グラインダーで鉄を削るとき、炭素含有量の違いによって飛び散る火の粉の量は変わるらしいことも聞いている。また、ステンレス製の草取り鍬では同じように石にぶつけても火の粉は飛ばなかったことなどもあって、庭仕事で考え付いたこの炭素が重要な役割をしているという「炭素燃焼説」、僕の調べた範囲では、火打ち鉄の含有炭素に注目した記述はネットで見つからないので「新」(珍?)説かなと思って一人悦に入っている。 ああ、こんなことしていては、庭の手入れなどははかどる筈がない。(取り込まれている炭素の状態がどういうものか、黒鉛のようなものならそう簡単には燃えないだろうから一抹の疑念は残る)

 

2007/03/30

■やはり時間泥棒■

 

 

 ここ1週間、ひさし振りにこのHPの書き変えをし、関係している団体の2つのHPもついでにリニューアルした(デザインはこのHPを流用したので2つとも良く似ているが・・・)。HTMLはもちろん、画像の処理の仕方なんかもすっかり忘却のかなた。たった数年しか経っていないのに、この分野の進歩は激しく、他のHPのソース表示をしてみても今や解析不可能。でも、悔しいので、ついつい昔の本を見てみたり、色々やっている間に時間は飛ぶように過ぎていく。昔のように、パソコンに取り憑かれたら、命を縮めそう。興味は尽きないけれど、そろそろ新年度の準備もあるし、この泥沼を抜け出さないと・・・・・・・

 明日は、20年ぶり(かな)、会社勤め時代の研究所仲間の同窓会(?)に富山に行きます。20年の間には会社も色々あって、それぞれが様々なその後を送ってきたのだけれど、今となっては、大学出てからの10年余りの富山での経験は、僕の人生の中では貴重なものだった気がする。諸般の事情で途中で会社を辞めたことには悔いはないけれど、過ぎ去れば、やはり、古き良き時代だった。                  

 

2007/03/27

■なるほどなあ■

 

 

 最近なるほどなあと思ったこと点

@     相撲の土俵はなぜ高い:大相撲の土俵は土を盛り上げて固めたもので、結構高さがある(普通はやく60cmくらい)。あれでは、土俵の外に落ちると普通は危険であると考えられる。実際足、腕を痛めて休場した力士も多いのにどうして?と思っていた。しかし、先日の激しい相撲を見ていて納得したのだが、平面状に土俵があるより却って安全であるのでは考えるようになった。それは、力士がもみ合って土俵外に勢いよく倒れ込んでいったとき、足は土俵の俵付近にあって上体は外側にあるのが普通である。万が一上体が頭から倒れていったとしても土俵が高いので、先にお尻や腰の胴体部分が土俵の端に接地し、頭部が低い位置にあっても頭を直接地面に強打することはない。すなわち、致命的な怪我を受けないという合理性があるからではと考えられるのだが、如何。

A     地球で星に一番近い場所は?:これは、テレビネタ。エベレスト(チョモランマ)の頂上という答えは、×。エクアドルのチンボラソという山(標高6,310m)。理由は、地球は自転しているため赤道部分が少し(20KMくらい)膨らんだ回転楕円体をしているから。だから、赤道直下にあるチンボラソのほうが、エベレストより星に近いという訳。基準点をどこからにするか、質問の仕方ですね。科学トンチ問題。最も高い山はエベレストであることは当然です。

                           

 

2007/3/25

■団塊世代の特性?■

 

 

団塊世代とは、昭和22年から26年くらいに生まれた世代であろう。今年、22年生まれが60歳になり定年が始まったことから、最近、この世代の話題に事欠かない。

僕は、24年生まれでそのど真ん中、正に団塊を生き抜いてきたわけである。団塊世代について上下の世代からさまざまに語られ定義される我が世代について、誰かは忘れたが、テレビのコメンテーターの1人が語っていたことに、妙に納得した。それは、団塊の世代は、「人間は多いが、仲間は少ない」世代だということである。

かって、全共闘が盛んであったころ、我々のスローガンは『連帯を求めて、孤立を恐れず!』であった。この言葉に共感したのは、前の連帯にあるのではなく後ろの孤立を恐れないほうにあったのだ。すなわち、一人一人の我が強く、自分の信じるところに拠って主義を貫くところにある。いわゆる『群れる』ことを好まない世代なのである。それ故に、人数は多いけれどバラバラなので、70年代に全共闘が崩壊した後は大量の労働力の供給元にはなったけれど、社会的には、結局は鳴かず飛ばずでここまできてしまったようである。

しかし『量的拡大は質的変革をともなう』ということから、大量の定年退職者が生まれてくるこれからのわが国においては、個人がどのように振舞おうが、その方向は良いほうなのか悪い方なのかは別としても、これからの社会にさまざまな影響を与えていく存在であることだけは確かであろう。

 

 

2007/3/25

■復活■

 

 

 

時間のたつのは早いもので、HPに書き込みを怠ってから随分になる。書き込まなくなった理由に確たるものはないが、インターネットが急速に普及し珍しさが薄れてきたこと、特に、blogなるものができ、誰もが簡単にHPもどきをUPしてしまう時代になるに至って、苦労して先陣を切ってきたものとしてはいささか拍子抜けになったこともある。また、年齢を重ねるのしたがい、仕事の内容が前線からはなれ組織維持の為の「雑用係」が回ってきて、時間的、精神的余裕がなくなったことも影響している。

しかし、「雑用係」にも慣れ、ここに来て精神的にも少し余裕ができてきたので、放っておいたHPを数年ぶりにリニューアルをしたのを契機に、blog風に、またぼちぼち発信していこうと思う。

 

 

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